電子はまるで氷のように”結晶化”していた——MIT研究チームの新発見
極低温の物質内部で、電子が自ら規則的な模様を作り出し、まるで氷が水の中で結晶化するように再構築される様子が世界で初めて観測されました。
しかも同じ物質の中で、二種類の模様がそれぞれ異なる方法で「元通り」になっていくという、これまで理論でしか語られてこなかった現象が実際に確認されたのです。
米マサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学者チームによる研究で、専門誌ネイチャー・フィジックスに8月7日付で掲載されています。
この成果はサイエンスデイリーやMITニュースなどが報じました。
電荷密度波とは?——電子が自ら模様を作る量子現象
今回の研究の主役となったのは、「電荷密度波(でんかみつどは、CDW)」と呼ばれる量子現象です。
これは、物質内部の電子が外部からの力を借りずに自発的に整列し、波のような繰り返し模様を作り出す状態を指します。
模様の「山」にあたる部分には電子が多く集まり、「谷」にあたる部分には電子が少なくなります。
研究チームが用いたのは、テルル化エルビウム(ErTe3)と呼ばれる希土類(レアアース)化合物です。
この物質を原子数個分の厚さのシート状に加工したうえで極低温まで冷却すると、電荷密度波が自発的に形成されることが知られています。
今回の発見で特に注目すべきは、この一つの物質の中に、性質の異なる二つの電荷密度波が同時に存在していた点です。
電荷密度波は物質によって一種類しか持たないものが大半である一方、テルル化エルビウムのように複数の電荷密度波を併せ持つ物質は珍しく、電子の集団的なふるまいを解明する「実験室」として世界中の物理学者から注目を集めてきました。
量子コンピューターや次世代半導体の開発競争が世界的に激化する中、こうした量子物質の性質を精密に理解することは、各国にとって重要な技術基盤の一つになりつつあります。
MIT研究チームの実験——レーザーで電子模様を”壊して”観察
研究チームは「ポンプ・プローブ法」と呼ばれる二段階のレーザー照射技術を用いて実験を行いました。
まず1発目のレーザーパルスで、物質内部に形成された電荷密度波の模様を意図的に壊します。
続けて2発目の高エネルギーレーザーパルスを照射し、飛び出してくる電子のエネルギーと運動量を計測することで、模様が再構築される過程をスナップショットのように捉えました。
実験は氷点下230度前後という極低温環境で行われ、この条件下では二種類の電荷密度波が同時に存在できることが確認されています。
具体的には、それぞれ異なる温度で現れる二つの相が組み合わさることで、碁盤目状の模様が形成されていました。
- 主相(氷点下8度で出現):一方向に伸びる縞状の模様を形成
- 副相(氷点下113度で出現):主相と垂直な方向に伸び、両者が重なり合うことで碁盤目状の模様に
研究を率いたヌー・ゲディック教授は「模様が壊れる様子を観察し、十分な時間待てば元に戻る様子も見ることができる」と説明しています。
この手法はフェムト秒(1000兆分の1秒)からピコ秒(1兆分の1秒)という極めて短い時間スケールで電子の動きを追跡できる点が特徴で、従来の手法では捉えられなかった模様の「生まれ変わる瞬間」を映像のように記録することを可能にしました。
氷のように結晶化する相と滑らかに戻る相——二つのメカニズム
実験の結果、二つの電荷密度波は元の模様に戻る際、まったく異なる過程をたどることが判明しました。
主相は、磁石が加熱されると徐々に磁力を失っていくのと同様に、全体が滑らかかつ一様に変化する「二次相転移」と呼ばれる典型的な過程で回復しました。
一方、副相はまったく予想外の挙動を示しました。
電子はまず物質内の孤立した点で模様を再形成し始め、その点が水の中で氷の結晶が育つように次第に周囲へ広がっていったのです。
こうした過程は「核形成・成長」と呼ばれ、物理学では急激な変化を伴う「一次相転移」に分類されます。
同じ物質、同じ電子でありながら、二つの相がまったく異なるメカニズムで再構築されるという事実は、理論上は予測されていたものの、実験で直接観測されたのは今回が初めてです。
研究チームはこの違いについて、それぞれの電荷密度波を生み出すエネルギー的な「深さ」や、電子同士の結びつきの強さが異なることに起因すると分析しています。
二次相転移と一次相転移はいずれも物理学の教科書に登場する基本的なパターンですが、同一の電子集団から生まれた二つの秩序がこれほど対照的な道筋をたどる例は、これまでほとんど確認されていませんでした。
超伝導解明への糸口——量子デバイス開発への期待
今回の発見が注目される背景には、電荷密度波が超伝導(電気抵抗がゼロになる現象)や磁性と密接に関わっているとみられている事情があります。
研究に参加したアルフレッド・ゾン氏(MIT博士課程修了後、現在は米スタンフォード大学助教授)は「シリコンに代わる次世代素材の中核は、複数の相が共存する量子物質にあると考えられている」と述べています。
ゲディック教授も「なぜ一部の物質だけが複数の相を同時に持てるのかは、物理学における大きな謎の一つだ」と指摘しています。
電荷密度波、磁性、超伝導が同居する物質の仕組みを理解することは、将来の高性能な量子デバイスの設計に直結すると期待されています。
今回のように電子の組み立て直り方そのものを直接観測できる手法が確立されたことで、他の量子物質でも同様の解析が進む可能性があります。
この研究は米エネルギー省、米国立科学財団、ゴードン&ベティ・ムーア財団の支援を受けて行われました。
現在の半導体技術は微細化がほぼ限界に近づきつつあるとされ、電荷密度波のような量子効果を積極的に利用する次世代素材の研究が世界各地で進められています。
今回確立された観測手法は、超伝導体や磁性体など他の複雑な量子物質における相転移の解析にも応用できるとみられ、材料科学全体への波及効果が期待されています。
補足情報——電荷密度波研究の広がり
電荷密度波という現象自体は1930年代に理論的に提唱され、1970年代以降は様々な物質で実験的に確認されてきました。
今回使われたテルル化エルビウムは「希土類トリテルライド」と呼ばれる物質群の一つで、複数の電荷密度波を同時に持つ性質から量子物質研究で注目を集めてきました。
近年は、こうした量子物質を使って次世代の省電力デバイスや、既存のコンピューターでは扱いにくい計算を担う量子コンピューターへの応用を目指す研究が世界的に活発化しています。
日本国内でも東京大学や理化学研究所などが同様の量子物質研究を進めており、今回のような観測手法が国内の研究にも波及する可能性があります。
研究チームの共著者には、MITで博士号を取得後にスタンフォード大学で研究を続けるアルフレッド・ゾン氏など、国際的に活動する若手研究者も名を連ねています。
まとめ
MIT研究チームは、量子物質テルル化エルビウムの内部で、性質の異なる二つの電荷密度波が、それぞれ異なるメカニズムで再構築される様子を世界で初めて観測しました。
一方は滑らかに、もう一方は氷の結晶が育つように再構築されるという発見は、超伝導などの理解にもつながる重要な一歩です。
今後は他の量子物質でも同様の観測が進み、複数の相が共存するメカニズムの全体像がどこまで解明されるかが注目されます。
次世代の省電力デバイスや量子コンピューターの実現に向け、今回のような基礎研究がどのように応用されていくかも引き続き見守っていく必要がありそうです。