いて座A*に最接近、アインシュタイン理論検証の新たな手がかりに
NPRやNature誌、欧州南天天文台(ESO)の発表によると、天の川銀河の中心にある超大質量ブラックホール「いて座A*」のすぐそばを、観測史上最も速い恒星が周回していることが分かりました。
発見したのは独マックス・プランク地外物理学研究所のシュテファン・ギレッセン氏らの国際チームです。
新たに見つかった恒星「S301」は、最接近時に秒速約2万4000kmという猛烈な速度で公転しており、その軌道はブラックホールの自転を直接測定できる可能性を秘めています。
S301とは何か——8.7年周期で描く超楕円軌道
S301は太陽の約1.5倍の質量を持つ恒星です。
欧州南天天文台の超大型望遠鏡干渉計「GRAVITY+」を用いた観測により、2023年に初めて検出されました。
あまりに暗く、研究チームはその信号を捉える作業を「オーケストラの演奏中にハエの羽音を聞き分けるようなものだった」と表現しています。
検出から「特別な星」だと確認するまでに、およそ2年を要しました。
S301は8.7年の周期で、離心率0.98という極端に細長い楕円軌道を描いています。
離心率(軌道がどれだけ真円から歪んでいるかを示す数値で、0に近いほど円形、1に近いほど細長い楕円になる)がここまで高い恒星軌道は、いて座A*周辺でも極めて異例です。
最接近時には、いて座A*からわずか140シュワルツシルト半径(ブラックホールの重力から光さえ脱出できなくなる境界=事象の地平面の半径を基準とする距離の単位)という近さまで迫ります。
これは太陽から土星までの距離とほぼ同じ、約17億kmに相当します。
同じいて座A*周辺の恒星でも、これまで研究の主役だった「S2」は最接近時でも約120天文単位(地球から太陽までの距離を1とする単位)の距離を保っており、S301の軌道がいかに極端かが分かります。
研究チームによれば、これほど暗く小さな恒星をここまで正確に追跡できたこと自体が、観測技術の大きな進歩を示しているといいます。
光速の8%——観測史上最速の公転速度
S301が記録した最接近時の速度は秒速約2万4000km、光速のおよそ8%に達します。
これは天の川銀河中心で確認された恒星の中で史上最速です。
研究チームはチリのパラナル天文台にある4台の望遠鏡を組み合わせ、赤外線でちりやガスを透かして観測しました。
可視光だと銀河中心付近の濃いちりやガスに遮られて見えなくなってしまうため、赤外線観測が不可欠だといいます。
ニュートンの重力法則に一般相対性理論による補正を加えることで、軌道を精密に割り出したといいます。
いて座A*の質量は太陽の約400万倍と算出されており、S301の観測データはこの数値の精度をさらに高める役割も果たしました。
秒速2万4000kmという速度は、地球から月までをわずか16秒で到達できる計算になり、いかに桁外れかがうかがえます。
これほどの高速でブラックホールに接近しながらも、S301は潮汐破壊(強い重力差によって天体がバラバラに引き裂かれる現象)を免れる絶妙な距離を保っている点も、研究者の関心を集めています。
なぜ重要か——ブラックホールの「自転」測定に世界初の道
これまでの観測でいて座A*の質量は分かっていましたが、自転速度は謎のままでした。
アインシュタインの一般相対性理論によれば、自転するブラックホールは周囲の時空そのものを引きずって歪める「フレームドラッギング」(高速回転する質量が周辺の時空を巻き込むように歪ませる効果)と呼ばれる現象を起こします。
S301のようにブラックホールへ極端に近づく恒星は、この歪みの影響を軌道の変化として受け取ることができます。
ギレッセン氏は「今回初めて、巨大ブラックホールの自転を直接測定できる可能性がある。それはアインシュタイン理論の重要な検証になる」と述べています。
今後数年から10年ほどかけてS301の軌道の歳差運動(楕円軌道自体がゆっくり回転していく現象)を追跡することで、いて座A*の自転速度を算出できると期待されています。
ブラックホールの自転速度は、その天体がどのように成長してきたかを知る重要な手がかりになるといいます。
自転が速ければ周囲のガスや天体を頻繁に飲み込みながら成長してきた可能性が高く、遅ければ比較的穏やかな成長史をたどってきたと推測できるためです。
米マサチューセッツ工科大学の天体物理学者エリン・カラ氏も、この発見が今後のブラックホール研究にとって大きな意味を持つと評価しています。
ブラックホールの自転を直接測定する試みはこれまでほとんど例がなく、実現すれば天体物理学における画期的な成果になるとみられています。
誕生の謎——引き裂かれた連星の生き残りか
S301のような恒星は、そもそもブラックホールのすぐ近くでは通常の過程では誕生しえません。
研究チームは、S301がもともと連星(2つの恒星が互いの重力で結びついたペア)の一方だったと考えています。
連星がブラックホールに接近すると、片方が強い重力で弾き飛ばされ、もう片方がブラックホールの近くに捕獲される「ヒルズメカニズム」(1988年に天文学者ジャック・ヒルズが提唱した、連星がブラックホールの潮汐力で引き裂かれる仕組み)が働いた可能性があるといいます。
弾き飛ばされたもう一方の星は、銀河系内を猛スピードで飛び去る「超高速度星」になったとみられ、こうした星は実際にこれまでも複数観測されています。
ギレッセン氏は「これは計画して見つけられる発見ではなかった。こうした星の存在は期待していたが、実際に見るまでは分からなかった」と振り返っています。
研究チームは今後も観測を続け、S300からS304まで見つかった他の微弱な天体についても正体を絞り込む方針だといいます。
いて座A*と「S字星」たちの観測史
いて座A*周辺の恒星は伝統的に「S」と番号を組み合わせて命名されており、今回のS301のほかにもS300からS304まで新たに5つの微弱な天体が確認されています。
中でも有名なのは1990年代から追跡されている「S2」で、その軌道観測は2020年のノーベル物理学賞受賞対象となった研究の土台にもなりました。
今回の発見に参加したラインハルト・ゲンツェル氏はそのノーベル賞受賞者本人でもあり、マックス・プランク地外物理学研究所の所長を務めています。
S301の等級はK=19.3と極めて暗く、地球から見て4億分の1の明るさの天体まで見分けられる観測精度があって初めて捉えられました。
GRAVITY+は今後もさらに感度を高める改良が予定されており、いて座A*周辺ではまだ見つかっていない同種の恒星が他にも存在する可能性が指摘されています。
今後の観測に注目
S301の発見は、天の川銀河中心のブラックホールの性質を解明する新たな手がかりとなりました。
今後は軌道の歳差運動を継続的に観測することで、ブラックホールの自転速度という長年の謎に迫れるかが焦点になります。
一般相対性理論のさらなる検証にもつながる観測として、今後の研究の進展が注目されます。
研究チームは今後10年ほどの間に十分なデータが蓄積されれば、いて座A*の自転速度を実際に算出できるとみています。
銀河系の中心という極限環境での実証が進めば、他の銀河の超大質量ブラックホールを理解する手がかりにもつながりそうです。