EUは7月7日から義務化、米国では”低技術志向”の運動が拡大
新型車に搭載されるカメラやマイクが、運転者の一挙一動を記録し続けている——そんな懸念が米国で広がっています。米ウォール・ストリート・ジャーニー(WSJ)は7月30日、車載技術を意図的に避ける「抵抗する運転者たち」の姿を報じました。同時期にはEUで運転者監視カメラの搭載が義務化されるなど、車の「監視技術」化が世界的に加速しています。WSJやコンシューマー・レポート、非営利団体Mozilla Foundationの調査をもとに、その実態を紹介します。
スプレッドシートで”避けるべき技術”を記録する男性
ミズーリ州セントルイス在住のコンピューター科学者、ブレット・ドイル氏はWSJの取材に対し、自身が作成した表計算ソフトの中身を明かしました。そこに並ぶのは電子式ドアハンドルや大型タッチスクリーン、車間距離を自動追従するアダプティブクルーズコントロールなど、最新の車載技術のリスト。ただし、これは「憧れの装備リスト」ではなく、次に車を買う際に絶対に避けたい機能の一覧だといいます。ドイル氏のように新技術を敬遠し、警報機能を解除したりダッシュボードの表示を古い仕様に近づけたりして、あえて「ローテク」な運転環境を志向する人々は、WSJによれば米自動車業界の技術偏重路線に異議を唱える「声高な少数派」として存在感を増しています。背景にあるのは、車内マイクやカメラが常時作動し、運転者の会話や表情まで記録されかねないという不安です。スマートフォンやスマート家電に続き、車という最も個人的な移動空間までもがデータ収集の対象になっていることへの反発が、静かに広がっているとみられます。こうした動きは、多機能化・自動化が一巡した後に「あえて機能を減らす」という揺り戻しが起きる、スマートフォン業界の”デジタルデトックス”需要とも通じるものがあります。運転という生命に関わる行為だからこそ、便利さより制御権を取り戻したいという心理が働きやすいとも考えられます。
新車の9割超がデータを収集、売却も横行
この不安は根拠のないものではありません。非営利団体Mozilla Foundationが主要25ブランドを調査した結果では、92%のブランドが収集データに対する利用者の管理権をほとんど、あるいは全く提供しておらず、84%が収集したデータを第三者と共有・売却していたと報告されています。位置情報やブレーキの頻度、急加速の回数といった運転状況データは、GM、ホンダ、キア、フォードなど大手を含む多くのメーカーからデータブローカー(個人情報を収集・加工して転売する事業者)に渡り、保険会社向けのリスク評価に使われる例が確認されています。米コンシューマー・レポートの報道によれば、データ分析大手LexisNexis Risk Solutionsの関連商品は、2023年時点で米国の新規自動車保険契約の86%で活用されていました。運転データに基づくスコアが低いと判定されれば保険料が上がる一方、当のデータがどう使われているか把握している運転者はごく一部にとどまるとみられています。米消費者団体は、夜間シフト勤務者など特定の生活パターンを持つ層が不利になりやすく、結果として低所得層やマイノリティに不利益が偏る恐れがあると警鐘を鳴らしています。EUではGDPR(一般データ保護規則)により個人データの域外移転や目的外利用に厳しい制約がありますが、米国には同水準の連邦法が存在せず、州ごとに規制の濃淡が大きいことも、データ活用に歯止めがかかりにくい一因とみられます。
EUは7月7日から運転者監視カメラを義務化
技術面でも監視の強化が進んでいます。EUの一般安全規則(GSR)に基づき、2026年7月7日から域内で販売される新型車にADDW(アドバンスト・ドライバー・ディストラクション・ウォーニング、運転者の注意力低下を検知する警告システム)の搭載が義務付けられました。ステアリングコラム付近に設置された赤外線カメラが運転者の頭部や視線の動きを常時解析し、居眠りやわき見の兆候を検知すると警告を発する仕組みです。規則上は「本来の目的に必要な範囲を超えて映像を継続的に記録・保存してはならない」と定められていますが、セキュリティ専門家は「全ての新車に監視用の物理的なハードウェアが搭載される以上、ソフトウェアの変更と記録装置の追加だけで常時録画が可能になる」と警戒しています。保険会社や捜査当局への情報提供リスク、そして過去に実際に車両データが悪用された事例があることも、懸念に拍車をかけている状況です。英国で1500人の運転者を対象に行われた調査では、54%が主要な先進運転支援システム(ADAS)の少なくとも1つを自ら無効化した経験があると回答しており、監視技術そのものへの不信感の広がりがうかがえます。EUがここまで踏み込んだ背景には、EU域内で年間2万人超が交通事故で命を落としているという深刻な現状があり、規制当局としては安全性向上を最優先せざるを得ない事情があります。日本ではこうした運転者監視カメラの搭載義務化はまだ検討段階にとどまっており、EUの制度運用や消費者の反応は、今後の日本の制度設計にとっても参考材料になりそうです。
米国でも「飲酒検知」義務化を巡り攻防
米国では方向性の異なる監視技術の義務化も足踏みしています。2021年に成立した連邦法は、視線の動きや瞳孔の反応から酒気帯び状態を検知する飲酒運転防止技術を全ての新型車に搭載するよう義務付けました。運輸省道路交通安全局(NHTSA)が基準策定を担っていますが、2026年7月時点でも「技術の信頼性がなお不十分」として実施は繰り返し延期されています。推進派の「母親たちの飲酒運転根絶運動(MADD)」などは、米国で1日あたり約32人が飲酒運転で死亡している現状を踏まえ、技術が全車に普及すれば年間最大1万人の命を救えると訴えています。一方、連邦議会では「誤検知や個人情報の売却の余地が大きすぎる」との批判も根強く、下院委員会は追加の技術検証とプライバシー保護の強化を条件に実施延期を求める修正案を可決しました。安全性向上とプライバシー保護のどちらを優先すべきか、米国内でも意見が割れている構図です。この飲酒検知技術は本来2024年までの実装が求められていましたが、技術的な課題を理由に延期が重ねられており、EUが規則施行に踏み切ったのとは対照的に、米国では立法と技術の両面で足並みが揃っていない状況が続いています。
補足:データ収集を拒否するとどうなるか
米コンシューマー・レポートによれば、運転者は自動車メーカーに対し「機微データの利用を必要最小限に限定する」「第三者への情報提供を拒否する」「収集済みデータの削除を求める」といった申請が可能です。多くのメーカーはオンラインのプライバシーポータルや専用アプリからこれらの設定を受け付けています。ただし実際にデータ共有を拒否すると、事故時に自動で通報するシステムや遠隔操作機能、ロードサービスなど一部の利便機能が使えなくなるケースが多く、「安全機能と引き換えに監視を受け入れる」構造になっている点が課題として指摘されています。データ収集規制を巡っては、運転データを保険料引き上げの根拠に使うことを制限している州は、現時点でカリフォルニア・ノースカロライナ・ロードアイランドの3州にとどまります。
まとめ
新型車への監視技術の搭載は、EUでの義務化開始や米国での議論の停滞にみられるように、世界的に転換点を迎えています。ブレット・ドイル氏のような「ローテク志向」の消費者の存在は、利便性や安全性と引き換えに個人データを差し出すことへの違和感が、一部で無視できない規模になっていることを示しています。今後は各国の規制動向に加え、消費者がどこまで「監視」を許容するかという意識の変化にも注目が集まりそうです。
出典:
The Wall Street Journal(Global Community Weekly 転載)
Consumer Reports
Reason
NBC Chicago