「ジョブロック」とは?米国民の4人に1人が健康保険のため転職断念、推計2300万人に

辞めたくても辞められない――医療保険が縛る米国の労働市場

「本当は転職したいのに、保険を失うのが怖くて動けない」。そんな米国の労働者が急増しています。世論調査大手ギャラップと非営利団体ウエストヘルスの共同調査によると、雇用主提供の医療保険を保持するためだけに望まない仕事を続ける「ジョブロック」状態にある人が、米国民の4人に1人、推計2300万人に達したことが分かりました。米NPRや医療専門メディアSTAT Newsも大きく報じたこの調査結果は、国民皆保険を持たない米国社会の構造的なひずみを浮き彫りにしています。

5年で8ポイント増、4人に1人が「保険のための我慢」

この調査は、ギャラップと医療政策シンクタンクのウエストヘルスが共同で運営する「ウエストヘルス・ギャラップ・センター」が、2025年10月27日から12月22日にかけて米国の成人5660人(うち雇用主提供保険に加入する2322人が主な分析対象)を対象に実施したものです。結果、24%が「今の仕事を辞めたいと思っているが、健康保険を失うことを恐れて留まっている」といういわゆる「ジョブロック(job lock、転職したくても医療保険を失う不安から離職できずにいる状態)」に該当すると回答しました。これは2021年の調査時点の16%から、わずか5年足らずで8ポイントも上昇した数字です。米国では公的な国民皆保険制度がなく、現役世代の医療保険の多くを雇用主経由の団体保険が占めているため、転職や独立が保険喪失に直結しやすいという構造があります。日本のように国民皆保険(誰もが公的医療保険に加入できる制度)があり、転職や退職をしても保険証を切り替えるだけで済む国とは事情が大きく異なる点です。米国では就職の際に加入した保険会社との契約や、治療中の主治医との関係が転職によって途切れてしまうことも多く、単なる保険料の問題にとどまらず、治療の継続性そのものへの不安も「辞められない」心理を後押ししていると考えられます。

持病や医療費の借金がある人ほど「辞められない」

ジョブロックの度合いは、健康状態や家計の逼迫度によって大きく差が開くことも明らかになりました。調査を主導したウエストヘルスのエリン・メイズ研究部長は「転職したいと思っているのに、保険を保持するためだけに仕事に留まらざるを得ない人がいるということ自体がおかしい。それが4人に1人にまで達しているのは深刻だ」と指摘しています。具体的な内訳は次の通りです。

  • 持病を3つ以上抱える人:41%がジョブロック状態
  • 持病がない人:17%
  • 医療費に関する個人・世帯の借金がある人:44%
  • 医療費の借金がない人:21%
  • 医療費が「家計の大きな負担」になっていると答えた人:48%

うつ病(35%)や不安障害(33%)、免疫機能に関わる持病(36%)を抱える回答者でも同様に高い水準が見られました。持病があるほど保険会社の審査や保険料の面で不利になりやすく、いったん良い保険条件を得られた職を手放すリスクが大きいと感じる心理が背景にあるとみられます。健康問題を抱える人ほど医療費の借金も膨らみやすく、両者が絡み合って「辞めるに辞められない」状況を強めている構図がうかがえます。転職先の保険が現在より条件が悪ければ持病の治療費が跳ね上がりかねず、逆に好条件の保険を得られる保証もないため、労働者にとってはリスクを取ってまで動く動機が生まれにくい状況です。結果として、本来であればより自分に合った職場や、より高い収入が見込める仕事に移れたはずの人材が、健康上の理由だけで今の職場に縛られ続けるという非効率も生じています。

女性・中間層により重くのしかかる構造

性別や所得層による偏りも際立っています。女性の30%がジョブロック状態にあると回答したのに対し、男性は20%にとどまりました。医療費の借金を抱える層に限ると、女性22%・男性12%とほぼ倍近い差が生じています。妊娠・出産や慢性疾患の受診頻度など、女性の方が医療サービスへの依存度が高くなりやすい事情が影響している可能性があります。所得別では、世帯年収4万8000〜9万ドル(日本円で概ね700万〜1300万円程度)の中間層でジョブロック率が27%と最も高くなりました。低所得層は公的扶助を受けやすく、高所得層は保険料負担そのものが相対的に軽いのに対し、中間層は公的支援の対象から外れやすいうえに保険料負担も重く、板挟みになりやすい層だといえます。医療政策シンクタンクKFF(旧称カイザー・ファミリー財団)の幹部ラリー・レビット氏も「医療費への不安は今、米国民の経済的な心配事の中でも上位に位置している」と述べており、2025年に医療保険制度改革法(通称ACA、オバマケア)の低中所得者向け補助金が期限切れとなったことも、保険料負担の重さに拍車をかけたとみられています。中間層は「自力で個人保険に入るには保険料が高すぎるが、公的支援を受けるには所得が高すぎる」という板挟みの立場に置かれやすく、結果として雇用主提供保険への依存度がひときわ強まりやすい層だといえます。

「雇用主頼み」の保険制度そのものへの疑問

今回の結果は、米国の医療保険が雇用と強く結びついている制度設計そのものへの疑問にもつながっています。米シンクタンク、ケイトー研究所のマイケル・キャノン氏は「ジョブロックが実在することは誰もが認めている。雇用主提供の保険を優遇する今の制度は、保険の空白を生み、所得の流動性を下げており、改革が急務だ」と述べています。転職や起業を諦める人が増えれば、労働市場全体の流動性が下がり、生産性の高い人材が能力に見合った職に移りにくくなるほか、新規開業のハードルも上がるため、経済全体の活力を損なう副作用も懸念されています。実際、今回の調査では米国民の51%が「今後12カ月の医療費を払えるか不安だ」と回答しており、これは過去5年で最も高い水準でした。保険と雇用が切り離せない限り、労働者は本来望むキャリアの選択肢を狭められ続けることになります。特に近年は生成AIの普及によるスキル転換の必要性が叫ばれる中、学び直しや異業種への挑戦こそが労働市場に求められている場面で、保険への不安が転職や起業への一歩を踏みとどまらせているとすれば、経済全体にとっても看過できない機会損失だといえるでしょう。

補足情報

米国では公的医療保険は主に65歳以上向けの「メディケア」や低所得者向けの「メディケイド」に限られ、現役世代の多くは雇用主経由の民間保険に頼っています。2010年に成立したACA(医療保険制度改革法)は個人向け保険市場を整備し、所得に応じた補助金で保険料負担を軽減してきましたが、2025年末にこの補助金の主要部分が失効し、個人で保険に入る場合の負担が急増したことが今回の調査結果の背景にあるとみられます。ジョブロックという言葉自体は1990年代から医療経済学の分野で使われてきましたが、近年は保険料の高騰やインフレによる生活費上昇と重なり、改めて政策論争の焦点となっています。今回の調査を運営するウエストヘルスは、高齢化社会における医療費負担の研究で知られる非営利シンクタンクで、ギャラップとは2019年から継続的に医療費に関する共同調査を実施してきました。

まとめ

ギャラップとウエストヘルスの調査により、米国では健康保険を失う不安から望まない仕事に留まる「ジョブロック」状態の人が4人に1人(推計2300万人)に達し、2021年から8ポイントも増えたことが分かりました。持病や医療費の借金を抱える人、女性、そして公的支援の対象になりにくい中間層ほど、その傾向は顕著です。国民皆保険を持たない米国特有の課題ではありますが、雇用と保険が強く結びついた制度が労働市場の流動性や経済の活力にまで影を落としている点は見逃せません。ACA補助金の今後の扱いや医療保険制度改革の行方とあわせて、来年以降の調査で数字がどう動くか注目されます。

出典:
Gallup
NPR
STAT News

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