DNA修復力を保つ遺伝子変異が、アルツハイマー病から脳を守る仕組みが明らかに
「長生きする人が持つ遺伝子」として知られるAPOE2(アポイー・ツー)が、なぜ脳を老化やアルツハイマー病から守るのか。米国の老化研究専門機関バック研究所(Buck Institute for Research on Aging)の最新研究が、その分子レベルの仕組みを解明しました。米科学ニュースサイトScienceDailyやバック研究所の発表によると、鍵を握るのは神経細胞のDNA修復能力だといいます。
APOEには3タイプ、脳への影響は正反対
APOE(アポリポタンパクE)は、脳内で神経の修復や脂質代謝に関わる遺伝子で、人にはわずか2つのアミノ酸の違いで区別されるAPOE2・APOE3・APOE4という3つの型(対立遺伝子)が存在します。世界全体でのおおよその保有割合は、APOE2が約8%、最も一般的なAPOE3が約78%、そしてAPOE4が14〜25%程度とされています。
このうちAPOE4は、65歳以降に発症する晩発性アルツハイマー病における最大の遺伝的危険因子として知られており、型を2つとも持つ人(ホモ接合体)は発症リスクが最大で十数倍に高まるとする報告もあります。反対にAPOE2は長寿や認知症リスクの低下と関連することが疫学的にわかっていましたが、なぜ保護的に働くのかという分子メカニズムは長らく謎に包まれていました。生活習慣の改善で対処しやすい他の危険因子と異なり、APOEの型は生まれつき決まっているだけに、その仕組みの解明は治療薬開発への近道として長年注目されてきたテーマです。
iPS細胞由来の神経細胞で老化メカニズムを再現
研究チームは、iPS細胞(人工多能性幹細胞、様々な細胞に変化できるよう人工的に作られた細胞)を使い、APOEの遺伝子部分だけが異なる神経細胞を作製しました。抑制性の「GABA作動性ニューロン」と興奮性の「グルタミン酸作動性ニューロン」という2種類の神経細胞を用意し、それぞれのDNA損傷の蓄積量や遺伝子の働き方をRNAシークエンシング(遺伝子発現を網羅的に解析する手法)で比較する手法がとられました。
この手法の意義は、APOEの型以外の遺伝的背景をすべて揃えたうえで比較できる点にあります。従来のアルツハイマー病研究の多くは、大規模な集団の統計データからAPOE4が発症率を押し上げる相関関係を導き出す疫学的アプローチが中心でした。今回のように細胞そのものを作り分けて直接比較する手法は、相関関係の背後にある因果的なメカニズムに踏み込める点で一歩進んだアプローチといえます。さらに、放射線や抗がん剤ドキソルビシンを使って人為的に細胞ストレスを加える実験や、ヒトのAPOE遺伝子を導入した高齢マウスの海馬(記憶を司る脳部位)組織の観察も行われ、細胞レベルとマウス個体レベルの両面から検証が進められました。
APOE2の神経細胞はDNA損傷が少なく回復も早い
実験の結果、APOE2型の神経細胞はAPOE3型・APOE4型に比べて明らかにDNA損傷の蓄積が少ないことが確認されました。RNAシークエンシングでは、APOE2のGABA作動性ニューロンにおいてDNA修復や損傷応答に関わる遺伝子群が強く活性化している一方、APOE4のニューロンではアルツハイマー病に特徴的な遺伝子発現パターンが見られました。
放射線やドキソルビシンで細胞にストレスを与える実験でも差は明確でした。
- APOE2の神経細胞は、老化細胞の指標となるタンパク質「p16」や「CRYAB」の発現レベルがAPOE3・APOE4より低い
- 核小体(細胞の核内でリボソームを作る構造)のサイズが小さく保たれ、核の構造そのものが壊れにくい
- ヒトAPOE2を導入した高齢マウスの海馬でも、核膜を支える「ラミンA/C」というタンパク質の量が多く、遺伝子の働きを制御する「ヘテロクロマチン」の構造が良好に維持されていた
研究を主導したリサ・エラビー教授は「APOE2を持つ神経細胞は、単にダメージが少ないだけでなく、ストレスを受けた際の回復も速い」と説明しています。細胞が老化プログラムに入る一歩手前で踏みとどまる力が、APOE2には備わっているというわけです。
APOE4保有者にも恩恵が届く可能性
今回の研究で特に注目されるのが、APOE2由来の組み換えタンパク質をAPOE4の神経細胞に添加したところ、放射線照射後のDNA損傷シグナルが軽減されたという結果です。これは、APOE2の保護効果が遺伝的に生まれ持った人だけの特権ではなく、外部から補うことで再現できる可能性を示唆しています。
研究チームは、この知見をもとに「APOE2模倣化合物」やDNA修復を標的とした治療法の開発を今後の方向性として挙げています。実現すれば、生まれつきAPOE4を持ち、アルツハイマー病のリスクが最も高いとされる人々に対しても、APOE2と同様の保護効果を薬剤などで人為的に与えられる可能性があります。これは、遺伝子そのものを書き換える遺伝子治療とは異なり、タンパク質や化合物の投与によって後天的に保護効果を再現しようとするアプローチであり、実用化のハードルが比較的低いと期待される点も重要です。ただし、APOE2が核膜の安定化やDNA修復をどのような分子経路で強化しているのか、正確なメカニズムは依然として未解明であり、研究チームも今後のさらなる検証が必要だとしています。臨床応用にはまだ時間がかかる見通しですが、アルツハイマー病治療が「発症後の進行抑制」から「発症前の予防」へと軸足を移しつつある近年の潮流とも一致する研究といえるでしょう。
豆知識:APOE4は民族によってリスクの大きさが異なる
APOE4がもたらすアルツハイマー病リスクの大きさは、人種・民族によって差があることが知られています。欧州系の人々に比べて東アジア系の人々ではAPOE4のリスクがより強く表れやすく、逆にアフリカ系やヒスパニック系の人々では相対的にリスクが弱まる傾向が報告されています。日本人を含む東アジア系の集団にとって、APOE4のリスク評価や今回のようなAPOE2研究の意義は、決して他人事ではないといえるでしょう。またAPOE4保有者はアルツハイマー病患者全体の半数〜4分の3程度を占めるとの報告もあり、単一の遺伝子としては異例なほど疾患への寄与度が高いことでも知られています。今回の研究には米国立加齢研究所(NIA)などの公的資金に加え、老化研究に特化した民間の助成団体も関わっており、老化生物学分野への投資が世界的に広がっている様子もうかがえます。
まとめ
今回の研究は、「長寿遺伝子」と呼ばれてきたAPOE2が神経細胞のDNA修復力を高め、細胞老化を抑えることで脳を守っている可能性を、分子レベルの証拠とともに示しました。APOE2の効果を薬剤などで再現できれば、生まれ持った遺伝子型にかかわらずアルツハイマー病リスクを下げられる未来につながるかもしれません。今後は、保護メカニズムの詳細な解明と、ヒトでの臨床応用に向けた研究の進展が注目されます。