「売るほどある」は宮崎弁?コメ高騰の今、発言が波紋――江藤農相“珍釈明”の真相に迫る

2025年5月、全国の米価格が過去最高値を記録し、家計を直撃しています。

そんな中、宮崎2区選出の江藤拓農林水産大臣が「コメは買ったことがない。

支援者の方々がくださるので、売るほどあります」と発言し、国会でも追及を受ける事態に発展しました。

さらに江藤大臣は「『売るほどある』は宮崎弁的な言い方」と釈明。この発言がSNSや地元で波紋を広げています。

本記事では、「売るほどある」は本当に宮崎の方言なのか、発言の背景やコメ価格高騰の現状、そしてこの話題が示す日本社会の“今”について、具体的な数字や専門的な視点も交えて深掘りします。

コメ価格高騰と“売るほどある”発言――背景を整理

米価は過去最高、庶民の食卓に直撃

2025年5月19日、農水省が発表したコメの店頭価格の全国平均は5キロあたり4,268円。

これは前年同月比で90%以上の値上がりとなり、2023年1月の2,030円からわずか2年余りで約2.1倍に跳ね上がった計算です。

この急騰の背景には、2024年の米収穫量減少や市場供給不足、需要増加など複合的な要因があります。

江藤農相の「売るほどある」発言――国会でも追及

こうした庶民の苦しみが続く中、江藤大臣は18日、佐賀県での講演で「コメは買ったことがない。支援者の方々がくださるので、売るほどあります」と発言。

この発言は「庶民感覚がない」と批判され、国会でも追及されました。

江藤大臣は「言い訳はしたくないが、宮崎ではたくさんいただくと『売るほどある』とよく言う。宮崎弁的な言い方でもあった」と釈明しています。

「売るほどある」は宮崎弁?――方言の実態に迫る

宮崎県民のリアルな声

江藤大臣の「宮崎弁的な言い方」という釈明に対し、地元宮崎やネット上では「そんな方言は聞いたことがない」「標準語では?」という声が多数。

実際、宮崎の方言辞典や地元サイトにも「売るほどある」という表現は見当たりません。

標準語としての「売るほどある」

「売るほどある」は、goo国語辞書によれば「物の数が多いことのたとえ」として、全国的に使われる慣用句です。

例えば「安物の時計なら売るほど持っている」のように、商品以外でも“たくさんある”ことを強調する際に使われます。

つまり、特定の地域に限った言い回しではなく、冗談や誇張として全国で使われている表現です。

なぜ「宮崎弁」と釈明したのか

江藤大臣は「地元ではよく使う」として“宮崎弁”と釈明しましたが、これは苦しい言い訳だったといえるでしょう。

実際、宮崎県民の多くが「方言ではない」と認識しており、今回の発言が地元の文化や言葉を象徴するものではないことが明らかになっています。

コメ高騰の現実と政治家の“距離感”

数字で見るコメ高騰のインパクト

  • 2023年1月:5キロ2,030円
  • 2024年1月:5キロ2,170円
  • 2024年12月:5キロ3,680円
  • 2025年2月:5キロ3,892円
  • 2025年5月:5キロ4,268円(過去最高値)

このように、わずか2年で約2倍以上に跳ね上がったコメ価格。

特に食べ盛りの子どもがいる家庭や低所得世帯には大きな打撃です。

政府は備蓄米の入札を3回実施し、約31万トンを市場に放出。

さらに7月まで毎月10万トンずつ追加放出する方針ですが、根本的な解決には至っていません。

政治家の“庶民感覚”と信頼

江藤大臣は「現場を見る努力はしてきたつもりだが、庶民感覚がないと断ぜられるような発言をしてしまったことは恥ずかしい」と謝罪し、発言を全面撤回しました。

しかし、コメの値上がりで苦しむ消費者にとって、「コメは買ったことがない」「売るほどある」という発言は、政治家と庶民との“距離”を強く感じさせるものでした。

「売るほどある」発言が示す日本社会の今

なぜ炎上したのか――“言葉”と“現実”の乖離

今回の一連の騒動は、単なる言葉の問題ではありません。

コメ価格の高騰という切実な現実の中で、政治家の言葉がどれだけ重く受け止められるかを改めて示しました。

特に「売るほどある」といった冗談や誇張が、現実の苦しさと乖離して聞こえる時代。

消費者は、政治家の“庶民感覚”や“現場感覚”にこれまで以上に敏感になっています。

言葉の使い方と説明責任

「売るほどある」は確かに日本語として広く使われる表現ですが、今回のように“方言”とすることで責任を回避しようとする姿勢には疑問が残ります。

言葉は文化や地域性を映す鏡ですが、説明責任を果たすうえで曖昧な言い訳は逆効果になりかねません。

今後の米価と消費者の選択肢

米価の今後と消費者の工夫

米価の高止まりが続く中、消費者は今後も価格動向を注視する必要があります。

農家から直接購入したり、他の支出を見直すなど、家計防衛の工夫が求められます。

また、政府や流通業者にも、安定供給に向けたさらなる努力が期待されています。

まとめ

江藤農相の「売るほどある」発言は、米価高騰という社会問題の中で大きな波紋を呼びました。

「売るほどある」は標準語として広く使われる表現であり、宮崎の方言ではありません。

今回の騒動は、政治家の言葉の重みと、現場感覚の重要性、そして説明責任のあり方を改めて問いかけています。

コメ価格の高騰は、今後も日本の消費者と政治家双方に“現実を直視する力”を求める課題です。

今こそ、言葉と行動の両面で信頼を築く姿勢が問われています。

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