初の「犯罪組織単位」分析で判明、摘発の費用対効果は440%
安い食材を高級品と偽って売る、産地や成分を偽装表示する——こうした「食品偽装(フードフラウド)」が英国経済に与える損失が、年間最大20億ポンド(日本円で約3800億円相当)に上ることが、英ポーツマス大学の新研究で明らかになりました。個別事件の積み上げではなく犯罪組織単位で被害を算出した初の試みとされ、学術誌Journal of Economic Criminologyに2026年8月7日付で掲載されました。phys.org、Food Safety Magazine、GBNewsなどが報じています。
「食品偽装」とは何か——221件の実例をデータベース化
食品偽装とは、産地・原材料・製法などの表示を偽って消費者や取引先を欺き、不当な利益を得る経済犯罪を指します。研究チームは英国内で報道された221件の食品偽装事件を分析対象とし、規制当局・食品メーカー・小売業者・保険会社・コンプライアンス専門機関への聞き取り調査を組み合わせて経済モデルを構築しました。従来の推計は個別の摘発事例やアンケートを基にした「代理指標(プロキシ、直接測定できない対象を間接的な指標で推し量る手法)」に依存していましたが、今回は機械学習技術を用いて実際の犯罪データをデータベース化し、詐欺集団が市場からどれだけの利益を奪っているかを直接算出した点が新しいとされています。試算では被害額の約75%が、正規品が偽装品に置き換えられることによって生じる市場全体のゆがみ——本来売れるはずだった正規事業者の売上機会の喪失——に起因していました。個別の消費者被害額だけを積み上げる従来型の統計では、こうした市場構造への波及効果は見えてきません。研究チームはこの手法について「個別の犯罪データから経済への影響を算出できたのはこれが初めて」と説明しており、今後は食品以外の経済犯罪の被害算出にも応用できる可能性を示唆しています。
ノルウェー産サーモンが「スコットランド産」に——横行する3つの手口
研究が指摘する代表的な手口は次の3種類です。
- すり替え(サブスティテューション)——安価な代替品を高級品として販売する行為。例えば、ノルウェー産サーモンを高価な「スコットランド産」として販売するケースが典型例として挙げられています
- 虚偽表示——原材料や産地、有機・無添加といった表示を実態と異なる形で偽る行為
- 書類偽造——輸送記録や証明書を改ざんし、サプライチェーン全体の追跡・検証を欺く行為
研究を率いたデイビッド・シェパード博士は「食品偽装は誠実な事業者を弱体化させ、市場をゆがめるだけでなく、深刻なケースでは人々の健康を危険にさらす」と警鐘を鳴らしています。英国では2013年、市販の牛肉加工品から馬肉が検出され社会問題化した「ホースミート・スキャンダル」の記憶が今も残っており、産地・原材料の偽装は一過性の事件ではなく構造的なリスクであることを、今回の研究は改めて浮き彫りにしたといえます。サプライチェーンが国境をまたいで複雑化するほど、原材料が生産地から加工工場、卸、小売へと渡る過程で何段階もの中間業者を経由することになり、末端の小売店や消費者はもちろん、監督官庁ですら全経路を逐一検証することが事実上不可能に近づいていきます。研究チームが対象とした221件の中には、こうした多段階の流通構造そのものを悪用したケースも複数含まれていたといいます。
摘発の投資対効果は440%——「検知」から「予防」への転換を提言
研究チームが特に強調するのは、摘発がもたらす経済合理性です。組織的な食品偽装グループを一つ摘発することで防げる経済的損害は、捜査・訴追にかかる費用を大きく上回り、投資対効果(ROI)は最大440%に達すると試算されました。これは1ポンドの捜査予算が、平均して4.4ポンド分の被害を未然に防ぐ計算になります。共同研究者のリサ・ジャック教授は「英国の食品業界は他の多くの業界に比べ、不正を格段に難しくする仕組みを築いてきた」と一定の評価をしつつも、研究チームは事件が起きてから摘発する「検知」偏重の姿勢から、事業者段階での「予防」への投資配分を優先すべきだと提言しています。具体的な提言としては、通報用フリーダイヤルの新設、業界内での内部告発の奨励、第三者監査機関と規制当局(FSA・英食品基準庁)との情報共有強化などが挙げられました。捜査機関の人員や予算が限られる中、どこに資源を集中投下すべきかを数値で裏付けた点が、今回の研究の政策的なインパクトの大きさにつながっています。従来、食品偽装対策への投資は「効果が見えにくい」という理由で他の犯罪対策より優先順位が下がりがちでしたが、440%というROIの数字は、財政当局に対して具体的な予算配分の根拠を示す材料になり得ます。
日本への示唆——輸入食品の増加と物価高が偽装のリスクを高める
日本でも過去に牛肉の産地偽装や食品表示法違反が繰り返し発覚しており、こうした構造的リスクは決して他人事ではありません。円安を背景に輸入食品への依存度が高まり、サプライチェーンが多層化・国際化するほど、末端の表示だけを見て真偽を判断することは難しくなります。今回の研究のように「代理指標」ではなく実際の犯罪組織のデータに基づいて経済損失を可視化する手法は、日本の食品表示行政においても検知偏重から予防重視へと発想を転換する材料になり得ます。また、物価高が続き節約志向が強まるほど、安価な食材への需要が伸び、それに乗じた偽装のインセンティブも強まりやすいという構図は、英国に限らず先進国共通の課題と考えられます。消費者側でできる自衛策としては、極端に安い高級食材や、産地証明・トレーサビリティ情報が不明瞭な商品への警戒を怠らないことが挙げられますが、個人の注意力だけに頼る対策には限界があり、今回の研究が示すような制度・データ主導の監視強化が並行して求められます。
補足——食品偽装をめぐるこれまでの経緯
英食品基準庁(FSA)は今回の研究に先立つ2023年にも同種の推計を公表しており、当時の被害額は年間約11.7億ポンドと算出されていました。今回の新研究はこれを更新し、犯罪組織単位という新しい切り口を導入したことで、被害額の上限を最大20億ポンドまで押し上げて再算出しています。世界的に見ても、高級はちみつブランド「マヌカハニー」の産地・成分偽装や、高級食用油であるオリーブオイルの品質偽装は国際的に繰り返し問題視されてきた代表的な事例として知られています。FSAは食品偽装の通報窓口として「Food Crime Confidential」というフリーダイヤルを運営し、業界関係者や消費者からの情報提供を呼びかけています。
まとめ——見えにくい経済犯罪への対応が今後の焦点に
ポーツマス大学の新研究は、英国の食品偽装による経済損失を年間最大20億ポンド、摘発の投資対効果を440%と具体的な数値で示し、検知偏重から予防重視への政策転換を促す材料を提供しました。今後は英政府・FSAがこの分析をどこまで実際の予算配分や規制強化に反映させるか、また同様のデータ駆動型の手法が他国の食品表示・輸入監視の政策づくりにどう応用されていくかが注目されます。