深海は「栄養の砂漠」じゃなかった

深海の水圧が生む「栄養のジューサー」効果、微生物を2日で30倍に

南デンマーク大学(University of Southern Denmark)の研究チームが、深海の強力な水圧が沈んでいく有機物粒子から栄養分を「搾り出す」現象を発見しました。

研究成果は米科学誌Science Advancesに掲載され、ScienceDailyやSciTechDailyなど複数の科学メディアが報じています。「栄養の砂漠」とされてきた深海の常識を覆す発見です。

「栄養の砂漠」という深海の常識

これまで深海(水深数千メートルの光が届かない領域)は、餌となる有機物が乏しい「砂漠」のような環境だと考えられてきました。水面近くのプランクトンが死んで沈んでいく粒子は「マリンスノー(海雪)」と呼ばれ、深海の生物や微生物にとって数少ない貴重な栄養源とされています。

しかし、粒子が水面から海底まで数日から数週間かけて沈む間に、どれほどの栄養が失われ、どれだけが深海の微生物に届くのかは、これまで正確に分かっていませんでした。深海は地球表面の半分以上を占める最大の生態系でありながら、その栄養循環の実態は長らくブラックボックスのままだったのです。

今回の研究は、この空白を埋める実験によって、深海環境そのものへの理解を大きく塗り替えるものとなりました。海洋学の教科書的な理解を書き換える可能性がある発見として、専門メディアの間でも関心を集めています。

人工マリンスノーで深海の圧力を再現

研究チームは、珪藻(けいそう、光合成を行う微細な藻類)を材料に人工的なマリンスノー粒子を作り、粒子が沈まないよう回転する特殊な圧力タンクの中で、水深2〜6キロメートルに相当する水圧を段階的に再現しました。論文の筆頭著者であるピーター・スティーフ准教授はこの圧力の働きについて、次のように説明しています。

  • 「圧力は巨大なジューサー(搾り機)のように働く」
  • 「粒子に溶け込んだ有機化合物を絞り出す」
  • 「微生物はその成分をすぐに利用できる」

これは、水槽内で単に水圧をかけただけでは再現できない現象で、粒子を回転させ続けることで自由落下に近い沈降状態を模擬しながら、深度に応じて圧力を精密に変化させた点に技術的な工夫があります。実際の海で長期観測するには数週間かけて数千メートルを追跡する必要があり、従来はほぼ不可能とされてきました。直接観測が難しい深海の物理過程を、実験室で忠実に再現した点が今回の研究の核心といえるでしょう。

炭素の半分、窒素の6割超が「流出」

実験の結果は研究チーム自身も驚くものでした。粒子は沈降する過程で、最大で炭素の50%、窒素の58〜63%を失うことが分かりました。さらに、漏れ出した有機物にさらされた微生物の数は、わずか2日間で30倍に急増し、呼吸量(微生物が有機物を分解してエネルギーを取り出す活動の指標)も大きく上昇しました。

これらの数値が意味するのは、深海の微生物が想像以上に豊富で、しかも即座に利用可能な栄養源にアクセスできているという事実です。従来の海洋学では、深海の微生物は沈んできた粒子が海底に到達し、そこで分解されるのを待つしかないというイメージが強くありました。

しかし今回の結果は、粒子が沈んでいる途中の水柱そのものが栄養供給の場になっていることを示しており、深海の食物網が想定より常時活発である可能性を浮かび上がらせています。

海洋の炭素循環への影響

この発見は、地球全体の炭素循環(大気・海洋・生物の間で炭素が移動し貯蔵される仕組み)にも影響を及ぼします。粒子から溶け出した炭素は、深海の水中に溶けたまま数百年から数千年にわたって留まるとされます。一方、海底の堆積物にまで届いて埋没した炭素は数百万年単位で閉じ込められ、現在私たちが利用する石油や天然ガス資源の形成にもつながってきました。

つまり、粒子の栄養分が沈降途中の水圧によって大量に失われるということは、従来の想定よりも海底に埋まる炭素の量が少なく、大気中に比較的早く戻ってしまう炭素の割合が多い可能性を意味します。海洋生物による年間の炭素隔離量(生物ポンプ)は740億トンと推定されていますが、気候変動対策として海洋の長期的な炭素貯留能力を見積もる上でも、今回の発見は前提の見直しを迫る材料になりそうです。地球温暖化対策の一環として海洋の炭素吸収能力に期待が寄せられる中、その見積もりの精度そのものが問われる展開になるかもしれません。

専門家の評価と今後の検証課題

論文には研究の意義を解説する視点(パースペクティブ)記事も付随しており、著者の一人であるユトレヒト大学のジャック・ミデルブルフ氏は、今回の知見が海洋の炭素循環モデルに与える影響の大きさを指摘しています。ただし、今回の成果はあくまで実験室内で人工的に作った粒子を用いた結果である点には注意が必要です。実際の海洋には多様な種類の生物由来粒子が存在し、粒子の組成や大きさによって栄養の流出量が変わる可能性があります。研究チーム自身も、この点を次の検証課題として位置づけています。

  • 実際の海水中で同じ現象が起きているかの確認
  • 粒子の種類や海域による流出量の違いの検証
  • 気候モデルへの定量的な組み込み方の検討

こうした課題が今後の北極海調査を含む一連の研究で明らかになっていくと見られます。

補足情報

研究チームは今回の成果を踏まえ、ドイツの研究船「ポーラーシュテルン」に乗り込み、北極海での実地調査を計画しています。

実験室内の再現ではなく、実際の海水中でも同様の分子的な証拠が見つかるかを確かめる狙いです。研究は南デンマーク大学の海洋生態学研究拠点「Nordcee」および「デンマーク深海研究センター」が主体となり、デンマーク国立研究基金や欧州連合のHorizon 2020プログラムなどの支援を受けて行われました。

マリンスノーという名称は、白い粒子が雪のように水中を舞い落ちる様子に由来し、深海生態系を支える最も基本的な栄養供給源として、以前から海洋学者の注目を集めてきました。

まとめ

深海の水圧が有機物粒子から栄養分を「搾り出す」という今回の発見は、長年「栄養の砂漠」とされてきた深海環境の常識を覆すものです。

炭素の50%、窒素の58〜63%が沈降中に失われ、微生物が2日で30倍に増えるという具体的な数値は、海洋の生態系だけでなく地球規模の炭素循環の見積もりにも影響を与える可能性があります。

今後予定されている北極海での実地調査によって、実験室での発見が実際の海洋環境でも確認されるかどうかが注目されます。

出典:
ScienceDaily
SciTechDaily

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