電気で書くDNA、半導体チップに新技術

ハーバード大、酵素とチップで64本のDNAを同時合成

2026年7月8日、米ハーバード大学の研究チームが、電気信号だけでDNA(遺伝情報を記録する分子)を合成できる半導体チップを開発したと発表しました。

Harvard SEAS(同大工学・応用科学大学院)の発表に加え、ScienceDaily、Interesting Engineeringなど複数の海外メディアが報じています。

従来は毒性の強い有機溶媒を使う化学合成が主流でしたが、今回のチップは水と酵素だけで64種類のDNA配列を同時に作り出すことに成功しました。

半導体チップでDNAを「電気的に」合成する仕組み

今回開発されたチップには、64カ所の合成サイトが並び、それぞれに同心円状の電極対が組み込まれています。

内側の電極に電流を流すとプロトン(水素イオン)が生成され、その場所だけpH(酸性度の指標)が下がります。この酸性環境が、DNAを1本ずつ伸ばす酵素合成(酵素の働きでDNA鎖を伸長させる手法)の引き金となる仕組みです。

一方、外側の電極は逆に拡散してきたプロトンを吸収し、酸性領域が隣のサイトへ漏れ出すのを防ぎます。この「攻めの内側電極」と「守りの外側電極」の組み合わせにより、1サイクルにつき1つのヌクレオチド(DNAを構成する基本単位)を、64カ所で同時に、独立して積み上げていくことが可能になりました。

研究を率いたドンヒー・ハム教授は、「電流を精密に制御するというこのチップの特徴は、もともと生体細胞を対象にしたセンサー技術に由来するものでした。その電流制御を、細胞ではなく分子に振り向けられないかと考えたのです」と振り返っています。

半導体の設計思想をバイオ分子の合成に応用したという点で、異分野融合の好例だと言えるでしょう。医療機器やスマートフォン向けセンサーの製造で培われてきた微細加工技術が、生命科学の実験室でしか扱えなかった工程を工業製品の土俵に引き寄せた形です。

従来法との違い – 有毒溶媒からの脱却

現在主流のDNA合成法は「ホスホロアミダイト法」と呼ばれる化学合成で、以下のような課題を抱えていました。

  • 毒性・可燃性の高い有機溶媒を大量に使用する
  • 専用設備と廃液処理コストがかさむ
  • 小型化・携帯化が難しい

これに対し今回の手法は、生体内の酵素反応を模した水ベースのプロセスであるため、環境負荷が小さく、原理的には装置の小型化にも道を開きます。

さらに注目すべきは並列処理の規模です。従来の酵素合成法では同時に扱えるDNA配列はせいぜい12本程度が限界とされてきましたが、今回のチップはその5倍以上となる64本を同時合成し、それぞれ最大39塩基の長さに到達しました。

数の上ではまだ小規模に見えるかもしれませんが、半導体チップという量産可能な基盤の上で実現した点に技術的な意義があります。将来的に電極の数を増やせば、原理上は合成サイトを大幅に増やせる可能性があるからです。

残された課題 – ボトルネックは電子回路ではなく化学反応

もっとも、この技術には明確な限界も存在します。共同筆頭著者のウー・ビン・ジョン氏(現・POSTECH助教授)は、「限界は脱保護化学(合成を1段階進めるたびにDNA鎖の端についた保護基を外す化学反応)にあるのであって、シリコン側にあるのではありません」と説明しています。

具体的には、脱保護反応で生じる中間分子が隣接する合成サイトへとにじみ出し、サイト間の境界があいまいになってしまうことが、これ以上の規模拡大を阻む要因になっているといいます。

つまり電極やチップの設計自体はすでに精密な制御を実現しており、次のブレークスルーは電子工学ではなく化学の側にある、という点は示唆に富みます。半導体産業が得意とする「微細化・集積化」のノウハウだけでは解決できない課題が残っているということは、今後の研究開発の優先順位を考えるうえで重要な視点になりそうです。半導体の性能向上が回路の微細化だけで進んできたわけではなく、材料科学や化学プロセスとの二人三脚だったことを思い起こさせる事例とも言えます。

応用の可能性 – 診断からDNAデータストレージまで

研究チームは、この技術の応用先として以下のような分野を挙げています。

  • 合成生物学・遺伝子工学の研究基盤
  • がん研究を含む医療診断
  • DNAデータストレージ(DNAの塩基配列にデジタル情報を記録する技術)

特に実証実験として、研究チームはこのチップを使って169バイト分のテキストメッセージをDNA配列として実際に符号化することに成功しています。

DNAは理論上、同じ体積のハードディスクやテープをはるかに上回る密度で情報を保存できるとされ、長期保存用の次世代ストレージ媒体として世界的に研究が進む分野です。今回のような低コスト・低環境負荷の合成手法が実用化されれば、DNAストレージのボトルネックの一つである「書き込みコスト」の低減につながる可能性があります。

国際的な研究資金体制

今回の研究は、単独の大学予算だけでなく、複数の資金源から支援を受けている点も見逃せません。米国家情報長官室(ODNI)傘下の高等研究計画活動機関(IARPA)、欧州の研究連携プロジェクト「Horizon Europe Hyperion」、そしてサムスンの研究助成機関が名を連ねています。

IARPAは主に安全保障分野の先端技術を対象に資金提供を行う機関であり、DNA合成技術がバイオセキュリティや次世代情報保存の観点からも国家的な関心事になっていることがうかがえます。米欧の公的機関と韓国系企業の研究部門が同じプロジェクトに資金を出している構図は、先端バイオ技術の開発が特定の国・企業に閉じたものではなく、国際的な競争と協調が同時に進んでいる現状を映し出しています。半導体とAIをめぐる主導権争いが激化する中、バイオテクノロジーの分野でも同様に、基礎研究の段階から各国・各企業が布石を打ち始めていると見ることができるでしょう。

補足情報

今回のチップの原型は、もともとDNA合成用ではなく、生体細胞の電気的な活動を計測するセンサーとして設計されていたものだといいます。前身の設計を手がけたのは、ハム教授の元博士課程学生であるジェフリー・アボット氏です。

細胞センシング用の半導体技術を分子合成へ転用するという発想の転換が、今回の成果の出発点になりました。

なお、共同筆頭著者の一人であるハン・セ・ジョン氏はハーバード大学の博士研究員であり、研究成果は査読付き学術誌「Nature Electronics」に2026年7月8日付で掲載されています。DNA合成の分野ではこれまで、米国のスタートアップ各社が酵素合成の実用化を競ってきましたが、大学発の基礎研究がチップ設計そのものから見直す形で参入してきた点も今回の特徴です。

まとめ

ハーバード大学が開発したこの半導体チップは、電気信号と酵素反応の組み合わせにより、有毒溶媒を使わずに64本のDNAを同時合成することに成功しました。課題は電子回路ではなく脱保護の化学反応にあり、次の技術的ブレークスルーはそこにかかっています。診断や合成生物学に加え、DNAデータストレージという次世代記憶媒体への応用も視野に入っており、今後、脱保護化学の改良によってどこまで並列数を伸ばせるかが注目されます。

出典:
Harvard SEAS
ScienceDaily
Interesting Engineering

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