CFCより前、四塩化炭素が刻んだ最初のオゾン層破壊の痕跡
1985年、南極上空に開いた「オゾンホール」の発見は世界に衝撃を与え、モントリオール議定書という国際協調の成功例を生みました。
しかし米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが今回、米科学誌PNASに発表した新たな分析により、人為的なオゾン層破壊は実はその28年も前、1957年にはすでに始まっていた可能性が明らかになりました。
しかも「主犯」はCFC(フロン)ではなかったといいます。
Phys.orgやGizmodoも同研究を詳しく報じています。
発見の衝撃 ― オゾンホールより28年早い兆候
オゾン層研究の第一人者として知られるMITのスーザン・ソロモン教授らの研究チームは、過去100年にわたる産業用化学物質の生産・排出データと、南極や北極の氷床コア(氷を掘削して得られる、過去の大気成分が閉じ込められた試料)の記録を組み合わせ、16通りの大気モデルを使って「もし人間活動がなかったら大気はどう変化していたか」を仮想的にシミュレーションしました。
その結果、人為的なオゾン層破壊を示す明確な兆候が、なんと1985年のオゾンホール発見より28年も早い1957年の時点ですでに検出可能なレベルに達していたことが分かりました。
しかも兆候が最初に現れた場所は、多くの人がイメージする南極ではなく、熱帯上空の成層圏でした。ソロモン氏は「1950年代後半という早い時期にオゾン層破壊が起きていたという事実には、心底驚かされた」と語っています。
研究チームによれば、熱帯上空は火山噴火やエルニーニョ現象など自然変動の振れ幅が比較的小さいため、人間活動による小さな変化でも統計的に検出しやすかったと考えられます。
実際には地球全体で同時に破壊が進んでいた可能性もありますが、ノイズの少ない熱帯だからこそ、いち早く「シグナル」として浮かび上がったというわけです。
今回の分析で明らかになった主なポイントは、次の3点に整理できます。
- 人為的なオゾン層破壊の兆候は、定説より28年早い1957年時点ですでに検出可能だった
- 最初に兆候が現れたのは南極ではなく、自然変動の少ない熱帯上空の成層圏だった
- 過去100年分の産業排出データと氷床コア記録を組み合わせた16通りの大気モデルによって突き止められた
真犯人はCFCではなく「四塩化炭素」だった
1985年のオゾンホール発見以降、長年オゾン層破壊の主犯とされてきたのは、冷蔵庫やスプレー缶に使われた「フロン(CFC、クロロフルオロカーボン)」でした。
しかし今回の分析で1957年当初の破壊を引き起こしていたのは、CFCではなく四塩化炭素という全く別の工業用化学物質だったことが突き止められました。
四塩化炭素は、ドライクリーニングの溶剤や金属の脱脂剤として1930年代から商業利用が始まった化合物です。
研究チームが氷床コアを分析したところ、大気中の四塩化炭素濃度は早くも1940年代から増加を始めていたことが確認されました。
CFCが本格的に普及するのはそれよりかなり後のことで、時系列で見ると四塩化炭素の方が「先行犯」だったことになります。
論文の筆頭著者でMITの大学院生であるジアン・グアン氏は「CFCよりずっと早い時期にオゾン層を破壊していた別の化合物が存在したことが分かり、大きな驚きだった」と述べています。
一つの化合物を規制すれば問題が解決するという単純な図式ではなく、産業界が生み出す多種多様な化学物質それぞれが、気づかれないまま大気に影響を及ぼしうるという、より複雑な現実を今回の発見は突きつけています。
なぜ人類は約30年間も気づけなかったのか
今回の研究が突きつける最大の教訓は、化学物質による環境破壊が「観測技術で捉えられるようになる」までには、想像以上の時間差が生じ得るという点です。
1950年代当時は、成層圏オゾンを継続的かつ高精度に監視する衛星観測網も、大気化学のシミュレーション技術も存在しませんでした。
そのため、たとえ破壊がすでに進行していても、それを裏付ける手段自体がなかったのです。人類が実際に「オゾンホール」という目に見える形の異常に気づいたのは、破壊開始から実に28年後の1985年になってからでした。
この時間差は、現在進行形の環境問題にも重い示唆を与えます。例えば近年懸念が高まっているPFAS(有機フッ素化合物、自然界でほとんど分解されない「永遠の化学物質」とも呼ばれる物質群)やマイクロプラスチックなども、今はまだ検出技術や長期データが不十分なために、真の影響規模を過小評価している可能性は否定できません。
過去の教訓は、「今見えていないから安全」とは限らないことを静かに物語っています。
モントリオール議定書という成功物語と、それでも続く宿題
1957年の”隠れた始まり”から28年後の1985年、英国南極観測隊がオゾンホールを発見したことをきっかけに国際社会は急速に動き、1987年には先進国・途上国を問わずほぼ全ての国連加盟国が参加する「モントリオール議定書」が採択されました。
この議定書によりCFCなどオゾン層破壊物質の生産・使用は段階的に禁止され、近年ではオゾン層の回復傾向が実際に観測されています。
国際協調による環境問題解決の数少ない成功例とされる一方、ソロモン氏は今回の発見を踏まえ「大気が私たちの予測通りに回復しているかどうかを確認し続ける義務が、私たちにはあるのではないか」と、規制対象物質のその後の継続的なモニタリングの重要性を強調しています。
四塩化炭素のように大気中で長期間分解されずに残る物質は、規制後も何十年にもわたって影響を及ぼし続けるためです。
成功したはずの環境政策も、監視をやめた瞬間にブラックボックス化するリスクをはらんでいると言えるでしょう。
補足情報
オゾン層は成層圏(地上約10〜50km)に存在するオゾンの層で、太陽光に含まれる有害な紫外線の大部分を吸収し、地上の生態系を守る役割を果たしています。
1985年のオゾンホール発見は、英国南極観測隊のジョー・ファーマン氏らが南極・ハレー基地の観測データから異常な減少を突き止めたことに端を発します。
モントリオール議定書は国連史上最も早く全会一致に近い形で批准された条約の一つとされ、国連環境計画(UNEP)の評価では南極のオゾンホールは今世紀半ば頃までに1980年水準まで回復すると予測されています。
四塩化炭素は現在では多くの国で製造・使用が厳しく規制されていますが、洗浄剤や化学原料の製造過程で今も一部使用が残っています。
まとめ
MITの研究チームによる新たな分析は、人為的なオゾン層破壊が定説より28年早い1957年に、しかも南極ではなく熱帯上空で始まっていたこと、そして真の”最初の犯人”はCFCではなく四塩化炭素だったことを明らかにしました。
モントリオール議定書という環境政策の成功物語の裏には、長期間残留する化学物質への継続的な監視という宿題が今も残されています。
PFASなど現代の新たな化学物質についても、同様の「見えない時間差」が存在しないか、今後の研究の行方が注目されます。