AIデータセンターの電力危機に、理論物理学から挑む新提案
英エディンバラ大学の研究チームが、次世代の磁気メモリ(MRAM、電源を切っても情報が消えないメモリ)において、消費電力を大幅に削減できる新手法を発表しました。
米科学ニュースサイトのサイエンスデイリーや、同大学の研究成果を伝えた米サイテックデイリーによると、数学的な「最適制御理論」を応用することで、従来方式と比べてスイッチング(情報書き換え)に必要なエネルギーを最大97分の1程度まで抑えられる可能性があるといいます。
AI(人工知能)の普及でデータセンターの消費電力が急増する中、根本的な省エネ策として注目されています。
研究の概要——数式で磁気メモリの「書き換え」を最適化
本研究を主導したのは、英エディンバラ大学・凝縮系物理複雑系研究所のエルトン・サントス博士らの研究チームです。
研究成果は2026年9月、学術誌「アドバンスト・マテリアルズ」に掲載されました。
研究チームが用いたのは、「最適制御理論」(ある目的を達成するための最も効率的な方法を数学的に導き出す理論)と呼ばれる手法です。
この理論はもともと、ロケットの軌道計算や自動運転車の経路設計など、限られた資源で目的を達成する分野で使われてきました。
研究チームは今回、この考え方を磁気メモリの記録状態を反転させる磁場パルスの設計に応用し、パルスの強さや向きを時間軸に沿って精密に組み立てました。
コンピューターシミュレーションの結果、最適化されたパルスを使えば、わずか0.94ナノジュールのエネルギーでスイッチングが可能になることが判明しました。
これは、従来型の磁場パルスで必要だった最大91.2ナノジュールと比べて、およそ97分の1という劇的な削減幅です。
さらに、この反転にかかる時間はわずか1〜10ピコ秒(1兆分の1秒)で、使用する磁場の強さも従来の10分の1以下に抑えられるといいます。
研究チームが示した主な数値は次の通りです。
- 最適化パルスでのスイッチングエネルギー:0.94ナノジュール
- 従来型パルスでのスイッチングエネルギー:最大91.2ナノジュール
- エネルギー削減幅:約97分の1
- スイッチング時間:1〜10ピコ秒
- 必要な磁場強度:従来の10分の1以下
これほど短時間かつ低エネルギーでの磁化反転は、これまでの実験報告と比べても際立った数値だと研究チームは説明しています。
磁気メモリとは?——DRAMやSOT-MRAMとの違い
今回の技術が対象とする磁気メモリは、正式には「MRAM」(磁気抵抗メモリ)と呼ばれる記憶素子です。
現在パソコンやスマートフォンで広く使われている「DRAM」(電源を切るとデータが消える揮発性メモリ)とは異なり、電源を切ってもデータを保持できる不揮発性メモリの一種です。
近年は「STT-MRAM」(スピン移行トルクを利用した磁気メモリ)や、その発展型である「SOT-MRAM」(スピン軌道トルクを利用した磁気メモリ)といった新方式の実用化も進んでいます。
それぞれの特徴を整理すると、次のようになります。
- DRAM:高速だが電源を切るとデータが消え、常時電力を消費して記憶を保持する必要がある
- STT-MRAM:不揮発性で書き換え回数の制限が少ないが、書き換え時の消費電力が課題
- SOT-MRAM:STT-MRAMより高速・高耐久だが、依然として一定の電力を要する
しかし、これらの方式でもデータを書き換えるたびに一定量の電力を消費するため、AIサーバーのように膨大な書き換えが発生する環境では消費電力が大きな課題となっていました。
研究チームの試算によれば、今回の手法はDRAM・STT-MRAM・SOT-MRAMのいずれと比べても、消費電力を「桁違い」に削減できる可能性があるとしています。
つまり、記憶素子そのものの構造を変えるのではなく、書き換えに使う「信号の波形」を数学的に最適化するだけで、大幅な省エネが実現できるという発想の転換が今回の特徴です。
なぜ今、メモリの省エネが重要なのか
背景にあるのは、AI(人工知能)の急速な普及によるデータセンターの電力需要の急増です。
サントス博士は「あらゆるデジタル処理にはエネルギーコストが伴っており、AIやデータ集約型の技術が拡大するほど、そのコストの重みは増している」と指摘しています。
生成AIの学習や推論には膨大な回数のメモリアクセスが発生するため、メモリ1回あたりの消費電力をわずかでも削減できれば、データセンター全体の電力消費に与える影響は非常に大きくなります。
世界的にAI向けデータセンターの新設が相次ぐ中、電力インフラの逼迫や冷却設備の増強コストは各国で社会問題化しつつあります。
半導体1つ1つのエネルギー効率を高めることは、発電所の新設や送電網の増強と比べてはるかに短期間かつ低コストで実現できる対策として期待されています。
研究チームは今回の成果を、情報を1ビット処理するために理論上必要な最小エネルギー量を示す「ランダウアー限界」(熱力学的に導かれる情報処理の省エネの理論的下限)に近づく一歩と位置付けています。
将来的には、消費エネルギーを「フェムトジュール」(ナノジュールの100万分の1)の領域まで引き下げられる可能性があるとも述べています。
仮にデータセンター内の膨大な数のメモリ素子すべてで同様の省エネが実現すれば、施設全体の電力消費や冷却コストの削減にもつながると見込まれます。
実用化への課題と応用範囲
現時点での成果はあくまでコンピューターシミュレーションによる理論上の実証であり、実際の素子での実験的な検証はこれからの課題です。
シミュレーションと実機とでは、熱ノイズや素子ごとのばらつきなど考慮すべき要素が増えるため、理論値通りの省エネ効果が得られるかは今後の検証を待つ必要があります。
研究チームは、今回の枠組みが磁場パルスだけでなく、電流パルスや超高速レーザーパルスにも応用できる可能性があるとしています。
つまり、磁気メモリに限らず、幅広い次世代メモリ技術や記録デバイスの省エネ設計に転用できる汎用性の高い手法だという点が注目されます。
研究チームは今回の論文を「実験的検証に向けた出発点」と位置付けており、今後は実験グループや半導体メーカーとの協力を通じて、実機での再現実験が進むとみられます。
実用化が進めば、スマートフォンやパソコンの省電力化だけでなく、AIサーバー1台あたりの消費電力を抑えることで、データセンター運営コストの低減にも波及する可能性があります。
磁気メモリと省エネ半導体をめぐる基礎知識
半導体業界ではここ数年、AI向けサーバーの電力消費急増を受けて、メモリの省エネ化が急速な技術競争の焦点となっています。
既存のSOT-MRAMは、電流を流すだけでデータを書き換えられる利点から次世代規格として期待されてきましたが、消費電力の面ではDRAMに対する優位性が限定的とされてきました。
データセンター全体の電力消費のうち、メモリへのアクセスや書き換えが占める割合は決して小さくなく、世界的な脱炭素の流れの中でも重要な削減対象とみなされています。
今回のように理論物理学の数学的手法を半導体設計に応用する試みは、机上の計算だけで大幅な効率改善を示せる点で、実験コストを抑えながら研究を加速できる利点があります。
まとめ——AI時代のメモリ技術に新たな選択肢
英エディンバラ大学の研究チームは、「最適制御理論」を用いることで磁気メモリの書き換えエネルギーを従来比97分の1程度まで削減できる可能性を示しました。
今回の成果はあくまでシミュレーション段階のものであり、実際のデバイスでの検証にはさらに時間がかかるとみられます。
それでも、AIの普及に伴うデータセンターの電力需要が世界的な課題となる中、理論面からの省エネ策として今後の実証実験の行方が注目されます。
今後、実験グループによる追試や半導体メーカーとの連携が進めば、数年内にスマートフォンやAIサーバー向けの実装が具体化する可能性もあります。
出典:
ScienceDaily
EurekAlert! (University of Edinburgh)
SciTechDaily
Phys.org