「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」の歌姫、がんで逝去
カントリー音楽界のレジェンド、ドリー・パートンさんが2026年8月25日、米テネシー州ナッシュビルの病院で死去しました。
80歳でした。
がんとの短い闘病の末だったと発表されています。
「9 to 5」「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」などの名曲で知られ、グラミー賞を11回受賞した歌手であり、慈善家、実業家でもあったパートンさん。
CNNやNPR、NBCニュースなど海外メディアの報道をもとに、その生涯と功績を振り返ります。
訃報の経緯——がん闘病の末、ヴァンダービルト大学病院で
パートンさんは2026年8月25日、ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学医療センター内の「ヴァンダービルト・イングラム・がんセンター」で息を引き取りました。
所属事務所は「がんとの短い闘いを勇敢に乗り越えた末、愛する人々に見守られながら、ドリーはこの世を去りました」との声明を発表しています。
パートンさんは8月21日に入院していたとされ、死去のわずか4日前には米People誌のインタビューで「夫カールを看病していた時期、自分の体調不良には目を向けていなかった」と語っていたことも明らかになっています。
家族の意向により、葬儀は近親者のみによる小規模なものになるとみられています。
「山あいの少女」から伝説の歌姫へ——名曲とグラミー賞11回
1946年1月19日、テネシー州の山あいの町でパートンさんは生まれました。
1960年代にカントリー歌手ポーター・ワゴナーとのデュエット活動で頭角を現し、その後ソロ歌手として本格的なキャリアを歩み始めます。
「ジョレーン(Jolene)」「9 to 5」「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー(I Will Always Love You)」「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」など、数々のヒット曲を世に送り出しました。
特に「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、後にホイットニー・ヒューストンがカバーし世界的な大ヒットとなったことでも知られています。
60年を超えるキャリアの中で、パートンさんは1億枚以上のレコードを売り上げ、グラミー賞を11回受賞(ノミネート数は54回)、グラミー生涯功労賞も受賞しています。
1999年にはカントリー音楽の殿堂入りも果たしました。
テーマパーク「ドリーウッド」——実業家としての顔
パートンさんは単なる歌手にとどまらず、実業家としても大きな成功を収めました。
1986年、故郷に近いグレート・スモーキー山脈のふもとに、自身の名を冠したテーマパーク「ドリーウッド」をオープンさせました。
敷地面積は165エーカー(東京ドーム約14個分)に及び、ジェットコースターやハクトウワシの保護施設を備え、アパラチア地方の伝統文化を伝える音楽・工芸の展示も行われています。
音楽業界だけでなく、地域経済にも大きく貢献してきた存在だったと言えるでしょう。
慈善活動の軌跡——識字支援からワクチン開発支援まで
パートンさんは長年にわたり、幅広い慈善活動でも知られてきました。
代表的なのが、子どもに無料で本を届ける非営利団体「イマジネーション・ライブラリー」です。
農業のために学校を辞めざるを得ず、読み書きに苦労した父親の経験がきっかけで設立したとされています。
また2020年4月には、ヴァンダービルト大学医療センターの新型コロナウイルス研究に100万ドルを寄付し、この資金がモデルナ社のワクチン開発を後押ししたことでも知られています。
自身がワクチン接種を受けた際には、代表曲「ジョレーン」の替え歌で「ワクチン、ワクチン、ワクチン」と歌う映像を公開し、話題となりました。
こうした功績が評価され、2025年には米映画芸術科学アカデミーから人道賞にあたるジーン・ハーショルト友愛賞を授与されています。
夫カール・ディーンさんとの60年——徹底した秘密主義の結婚生活
パートンさんは1964年、ナッシュビルのコインランドリーで、当時の夫カール・ディーンさんと出会いました。
1966年5月30日に非公開の式を挙げて結婚し、子どもはいなかったものの、公私にわたり支え合う関係を60年近く続けました。
ディーンさんは徹底したプライバシー志向で知られ、ドリーウッド開園時にも顔写真を一切公開せず、取材陣に「自分は庭師だ」と言って本人であることを否定することもあったといいます。
そのディーンさんは、パートンさんに先立つこと1年半、2025年3月に82歳で亡くなっていました。
パートンさん本人も先述のインタビューで、夫の看病に専念するあまり自身の体調変化を見過ごしていたと明かしており、二人の深い絆がうかがえます。
訃報を受け、世界中のファンや音楽関係者から追悼のコメントが相次いで寄せられています。
パートンさんの家族は、花を贈る代わりに「イマジネーション・ライブラリー」への寄付を呼びかけています。
補足情報
「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、もともとパートンさんが師であるポーター・ワゴナーとのコンビ解消時に書いた曲で、1992年公開の映画『ボディガード』でホイットニー・ヒューストンがカバーしたバージョンが全米チャート1位を記録し、世界的な代表曲となりました。
直近では、歌手テイラー・スウィフトさんとNFL選手トラビス・ケルシー氏が結婚に際して寄付した慈善活動の一環として、イマジネーション・ライブラリーに200万ドルの寄付を表明していたことも報じられています。
パートンさんは音楽活動と並行し、映画『9 to 5』の出演や楽曲提供でも知られ、演技・作曲の両面で幅広い才能を発揮した人物でもありました。
まとめ
カントリー音楽界の伝説的存在として、そして慈善家・実業家として60年以上にわたり第一線で活躍したドリー・パートンさんが、80歳でその生涯を閉じました。
夫カール・ディーンさんの死去からわずか1年半後の別れとなり、二人の絆の深さを物語る最期となりました。
数々の名曲と、子どもたちへの本の贈与やワクチン研究支援といった功績は、これからも多くの人々の記憶に残り続けることでしょう。