米科学誌が2022年論文を撤回、レーダー考古学の専門家が方法論を問題視
エジプトのギザにある大ピラミッドの地下に、巨大な「地下都市」が眠っているという主張をご存じでしょうか。
この衝撃的な説の根拠となった学術論文が、2026年8月、掲載から4年を経て正式に撤回されました。
米誌ニューズウィークや学術不正監視サイト「リトラクション・ウォッチ」などが2026年9月上旬に報じたこの経緯を、詳しく見ていきます。
撤回された論文は何を主張していたのか
撤回されたのは、イタリアの研究者フィリッポ・ビオンディ氏とコラード・マランガ氏が2022年10月に学術誌「リモートセンシング」に発表した論文です。
この論文は、人工衛星による「合成開口レーダー(SAR、電波を使い地表や構造物の詳細な画像を得る観測技術)」を使い、クフ王のピラミッド内部を透視できたと主張していました。
研究チームは、ピラミッドの石材がわずかに揺れる「微小振動」を背景の地震ノイズから読み取り、内部の3次元構造を再構成したとしています。
その結果として、通路や部屋、傾斜路などからなる約20カ所の未知の構造物がクフ王のピラミッド内部に存在すると結論づけました。
論文はその後7回引用され、2021年にはアイルランド環境保護庁(EPA)の報告書にも引用される事態となりました。
ビオンディ氏らはこの手法をカフラー王のピラミッドにも適用し、2025年3月の記者会見で発表を行いました。
そこで示されたのは、地下約648メートルまで螺旋状に続く8本の円筒形の縦坑と、その先にある立方体状の構造物という驚くべき内容でした。
この「地下都市」とも呼べる主張はSNSやメディアを通じて瞬く間に世界へ拡散し、2026年8月には米ヒストリーチャンネルの番組でも取り上げられました。
しかし、この2025年の発表内容は査読を経ておらず、学術論文としては未発表のままでした。
なぜ「深さ648メートル」の主張は撤回されたのか
査読誌「リモートセンシング」は2026年8月10日付で、2022年の論文を正式に撤回したと発表しました。
撤回通知では、論文に「重大な方法論上の欠陥と統計的な誤り」があり、科学的な結論の信頼性を損なうと判断されたことが理由として明記されています。
撤回のきっかけは、一人の読者が論文の手法に疑問を投げかけたことでした。
レーダー考古学を専門とするローレンス・コンヤーズ氏は、今回の撤回劇において中心的な批判者の一人です。
同氏はそもそも今回の論文の査読者の一人であり、当時から「追加の数学的検証がなければ掲載すべきではない」と指摘していたと明かしています。
コンヤーズ氏によれば、衛星による合成開口レーダーは物理的にピラミッドの石材を透過し、内部構造で反射して衛星まで戻ってくることはできないといいます。
さらに、論文が根拠とした石材の「微小振動」も、衛星が検出できる水準をはるかに下回る微細なものだと同氏は指摘しています。
つまり、そもそも観測手法の物理的な原理自体が成立していなかった可能性が高いというのが、専門家の見立てです。
なお、撤回にあたってデータの捏造は指摘されておらず、あくまで方法論と統計処理の欠陥が問題とされた点には留意が必要です。
専門家とエジプト考古当局の反応
エジプトの元考古相で著名なエジプト学者ザヒ・ハワス氏は、今回の「地下都市」説を一貫して否定してきた人物です。
同氏は、ビオンディ氏らの研究チームがピラミッド内での調査許可を一切得ていなかったと指摘しています。
その上で、地下都市の存在を裏付ける「科学的根拠は存在しない」と明言しています。
一方、著者のビオンディ氏とマランガ氏は今回の撤回決定に同意しない姿勢を撤回通知の中で示しました。
両氏はこれまでのところ、具体的な反論や説明を公の場では行っていません。
それどころか、両氏は撤回からわずか12日後の2026年8月22日、カフラー王のピラミッドに関する発掘許可の申請を新たに提出しています。
この申請は、論文撤回の事実に触れることなく行われており、プロジェクトの継続に強い意欲を示す形となりました。
なぜ「地下都市」説はここまで拡散したのか
一度撤回された論文の主張が、なぜこれほど大きな影響力を持ってしまったのかを考える必要があります。
背景の一つには、査読前の未発表情報が記者会見という形で先にメディアへ発信された点が挙げられます。
学術誌への掲載や査読という検証プロセスを経る前に、センセーショナルな数字や画像が独り歩きしやすい構造があったといえるでしょう。
さらに、2026年8月のテレビ番組化によって、科学的な検証状況とは切り離された形で「地下都市」のイメージだけが一般に広まったことも見逃せません。
古代エジプト文明への根強いロマンと、隠された謎を解き明かしたいという欲求は、こうした未検証の説が拡散しやすい土壌を作り出しています。
一方でギザでは、地中レーダーや電気抵抗トモグラフィー(地下の電気的性質を測定し構造を画像化する手法)といった、査読を経た正規の手法による調査も行われています。
実際に2021年から2023年にかけて、日本とエジプトの研究チームがギザ西側の墓地跡を調査し、長さ約10メートルのL字型構造物を地下約2メートルの位置で確認したと報告しています。
科学的に裏付けられた発見と、方法論に欠陥のある主張とを見分けるには、査読の有無や再現性の確認といった基本的な視点が欠かせません。
大ピラミッドを巡る基礎知識
ここで、今回の舞台となった大ピラミッドについて基本情報を整理しておきます。
- クフ王のピラミッドは紀元前2560年頃に建設されたとされ、古代世界の七不思議で唯一現存する建造物です
- 完成当初の高さは約146メートルで、19世紀まで人類が建てた最も高い建造物とされていました
- 合成開口レーダーは本来、地表の変化や地盤の動きなどを観測する目的で人工衛星に搭載される技術です
- 学術論文の撤回は世界全体で年間数千件規模で発生しており、方法論の欠陥や再現性の欠如が主な理由とされています
大規模な古代建造物の内部を巡る論争は今回が初めてではなく、過去にも類似の主張と反論が繰り返されてきた歴史があります。
まとめ——今後の注目点
今回の一連の経緯をまとめると、2022年に発表されたピラミッド地下構造に関する論文は、方法論と統計処理の欠陥を理由に2026年8月、正式に撤回されました。
著者らは撤回に同意せず、直後に新たな発掘許可を申請するなど、プロジェクトを継続する姿勢を崩していません。
一方でエジプト考古当局や専門家からは、科学的根拠の欠如を指摘する声が相次いでいます。
今後は、エジプト当局が発掘許可の申請にどう対応するか、そして著者らが査読付き論文として反論データを示せるかどうかが焦点になりそうです。
査読という検証プロセスの重要性を改めて浮き彫りにした今回の一件は、科学報道の受け止め方を考える上でも示唆に富む事例といえるでしょう。