ヒトニューロンの計算能力とは?——ヘブライ大学、AIで深層学習匹敵と判明

ヒト脳の1つの神経細胞に秘められた、驚きの計算能力とは

「脳の神経細胞(ニューロン)は、電気信号のオン・オフを切り替えるだけの単純なスイッチ」——そんな長年の常識を覆す研究が発表されました。イスラエルのヘブライ大学の研究チームが、AI技術を使ってヒトの大脳皮質ニューロン1個の計算能力を測定したところ、他の哺乳類の神経細胞よりも格段に複雑な情報処理を行っていることが判明したのです。Science DailySciTechDailyが報じた最新研究の内容を紹介します。

ヘブライ大学が発表した研究の概要

今回の研究は、ヘブライ大学エドモンド・アンド・リリー・サフラ脳科学センターのイダン・セゲブ教授とミッキー・ロンドン教授、博士課程のイド・アイゼンブッド氏とダニエラ・ヨエリ氏、そしてオランダ・アムステルダム自由大学のクリス・デコック教授による国際共同研究で、米科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載されました。研究チームは、ヒトを含む複数の哺乳類の大脳皮質から採取した神経細胞のデータをもとに、それぞれのニューロンが持つ「入力から出力への変換能力」をAIで再現する実験を行いました。その結果、ヒトのニューロンは他の哺乳類の同種細胞に比べて、有意に複雑な計算を行っていることが分かりました。セゲブ教授は「人はニューロンを単純なオン・オフのスイッチだと考えがちですが、実際には1個のヒト神経細胞そのものが、極めて洗練された計算装置なのです」と述べています。これまで神経科学では、1個のニューロンは複数の入力信号を単純に足し合わせて発火するかどうかを決めるだけの存在とみなされることが多く、今回の結果はその前提そのものを揺るがすものです。研究チームは、ヒトのほかマウスなど複数の哺乳類種から採取した大脳皮質ニューロンのデータを横並びで比較しており、進化の過程で種によって神経細胞の「計算の質」自体が変化してきた可能性を示した点も、今回の成果の大きな特徴です。

「デジタルツイン」で計算力を測る新手法

研究チームが用いたのは、コンピューターモデリングとAIを組み合わせた新しい測定手法です。まず実際のニューロンの電気的な反応データをもとに、そのニューロンの挙動を精密に再現する生物物理モデル(いわば「デジタルツイン」)を作成します。次に、人工ニューラルネットワーク(ANN、人間の脳の神経回路を模したAIの計算モデル)を訓練し、そのデジタルツインの入出力関係をどこまで正確に模倣できるかを検証しました。模倣に必要なANNの層(レイヤー)が多く、複雑になるほど、元となった生物学的ニューロンの計算能力が高いと評価する仕組みです。この方法により、単純な発火頻度の比較では見えなかった「1細胞あたりの情報処理の質」を、種をまたいで定量的に比較できるようになりました。従来のように電気生理学の実験だけに頼るのではなく、AIモデルを”物差し”として使う点が今回の手法の新しさといえます。

2021年の先行研究との違いと樹状突起の役割

実はセゲブ教授らの研究グループは2021年にも、単一の大脳皮質ニューロンの挙動を再現するには5〜8層規模の深層ニューラルネットワークが必要になるという論文を発表し、神経科学界に衝撃を与えていました。当時は「1個のニューロン=1つの深層学習モデルに匹敵する」という種を超えた一般的な指摘にとどまっていましたが、今回の研究はそこから一歩進み、種による差を初めて定量的に示した点が新しいといえます。この差を生む鍵とされるのが、ニューロンの表面に無数に伸びる「樹状突起」(じゅじょうとっき。他の神経細胞からの信号を受け取る木の枝状の構造)です。ヒトのニューロンは他の哺乳類に比べて樹状突起がより豊かに枝分かれしており、さらにNMDA受容体(神経伝達物質を受け取り非線形的な電気信号を生み出す受容体)を介した特有の電気的性質を持つため、単純に入力信号を足し合わせるのではなく、枝ごとに独立した「部分計算」を行ってから統合していると考えられています。いわば1個のニューロンの中に、多数のミニ演算ユニットが分散配置されているようなイメージです。

ヒトの知性を支える仕組みへの示唆

この発見が興味深いのは、人間の高度な認知能力——言語や数学的思考など——を説明する新たな視点を提供する点です。従来、脳科学ではヒトの知能の高さは約1000億個ともいわれる神経細胞の「数」と、細胞同士の「結合の多さ」によって主に説明されてきました。しかし今回の研究は、細胞1個あたりの計算の「質」もまた、知性を支える重要な要素である可能性を示しています。仮に脳全体の各ニューロンが内部に小さな深層学習モデルを宿しているとすれば、脳全体の実質的な情報処理能力は、単純な神経細胞数の比較で見積もられてきた以上に大きい可能性があります。研究チームは今後の展開として、以下のような波及効果を挙げています。

  • 脳の仕組みを模したニューロモルフィック(脳型)コンピューティングの設計思想への応用——より省電力・高効率なAIチップの開発につながる可能性
  • 樹状突起の複雑さの違いを手がかりにした、脳の発達過程や加齢による認知機能の変化の理解
  • 種による神経細胞の計算能力の違いを比較することで、ヒト特有の知性の進化的起源を探る新たな研究アプローチの確立

脳科学とAI研究の双方から、今回の知見がもたらす波及効果に注目が集まりそうです。

補足情報

今回の研究チームが所属するヘブライ大学のサフラ脳科学センターは、シナプス(神経細胞間の接合部)やニューロンの数理モデリング分野で世界的に知られる研究拠点です。なお、脳のニューロンが単純な「加算器」ではなく樹状突起単位で独立した計算を行っているという考え方自体は、近年米国の別の研究グループがマウスの海馬(記憶を司る脳部位)で行った電位イメージング実験でも支持されており、樹状突起の計算能力は種を超えた神経科学の重要テーマとして研究が広がっています。ヒトの脳は約1000億個のニューロンを持つとされますが、その1つ1つがこれほど高度な計算主体であるという理解は、脳科学の教科書を書き換える可能性を秘めています。

まとめ

ヘブライ大学の研究チームは、AIを用いた新手法によって、ヒトの大脳皮質ニューロン1個が他の哺乳類よりも高い計算能力を持つことを明らかにしました。背景には豊かな樹状突起の構造と特有の電気的性質があるとみられます。神経細胞の「数」だけでなく「質」に着目するこの視点は、人間の知性の起源解明や、脳型AIチップの開発など、今後の脳科学・AI研究の両分野の展開において注目すべきポイントとなりそうです。

出典:
ScienceDaily
SciTechDaily

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