スイスのETHチューリッヒなどが開発、光技術で粒子検出器を劇的に簡素化
スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHチューリッヒ)とローザンヌ校(EPFL)の研究チームが、素粒子の軌跡を高精度で3Dに捉える新型検出器「PLATON」を開発したと発表しました。米科学ニュースサイトScienceDailyや英Gizmodoが報じたところによると、この技術は従来数百万個の部品が必要だった検出器を単一のブロックで置き換えられる可能性があり、日本の実験施設にも影響を与えそうです。
従来の検出器が抱えていた「部品地獄」
ニュートリノ(電気を帯びず、他の物質とほとんど反応しない素粒子)や暗黒物質のような、観測が難しい粒子を検出する装置は、シンチレータ(放射線が当たると発光する物質)を細かく分割し、無数のセンサーで一つひとつ読み取る方式が主流でした。例えば日本のT2K実験(茨城県東海村から岐阜県のスーパーカミオカンデへニュートリノを飛ばす国際実験)では、わずか2トン分の検出体積を実現するために、約200万個の検出用キューブと6万本の光ファイバーが使われています。同様に、欧州の大型加速器実験LHCbやMu3eでも、数百万本という単位の極細シンチレーティング光ファイバーが使われており、規模が大きくなるほど部品点数が指数関数的に膨れ上がる構造になっています。
この方式は精度こそ高いものの、部品数が増えるほど製造・組み立て・データ読み出しのコストと手間が跳ね上がるという構造的な問題を抱えていました。各キューブやファイバーに個別の読み出し回路が必要になるため、検出器が大型化するほど故障箇所も比例して増え、保守費用も無視できない規模になります。研究チームはこの「部品地獄」こそが、次世代の大型検出器建設を阻む最大の壁になっていたと指摘しています。
PLATONの仕組み——「光の場」で粒子を捉える
PLATONが採用したのは、分割しない一枚のシンチレータ・ブロックに、プレノプティックカメラ(光の強さだけでなく、光が来た方向まで記録できるカメラ)を組み合わせるという発想です。具体的には以下の要素で構成されています。
- 微小レンズを格子状に並べた「マイクロレンズアレイ」で、光の方向情報を取得
- 1個の光子まで検出できる高感度センサー「SPAD(単一光子アバランシェダイオード)」
- 光子が記録された時刻と位置の相関パターンから粒子の軌跡を再構成する、AIの一種であるTransformer(文章生成AIにも使われる深層学習モデル)
粒子がシンチレータを通過すると微弱な光が発生し、その光を1台のカメラが立体的に捉えて解析することで、部品を細かく分割しなくても3D的な位置情報を割り出せる仕組みです。研究チームによる10cm四方の試作機での実験では、放射性同位体ストロンチウム90から放出された電子の飛跡を再構成することに成功し、検出光子がわずか5個という極めて微弱な条件でも、1mm以下の空間分解能を達成したといいます。シミュレーションでは、体積1立方メートルの検出器に拡大しても数mm程度の分解能を維持できる見通しで、これは現在最先端とされるプラスチックシンチレータ検出器に匹敵する性能です。従来方式が「解像度を上げるには部品をさらに細分化する」という発想だったのに対し、PLATONは光の方向情報という別の軸から解像度を引き出している点が発想の転換といえます。
コスト削減がもたらす科学的インパクト
部品数を劇的に減らせることは、単なる製造コストの節約にとどまりません。検出器を安価に大型化できれば、これまで観測が難しかった稀な相互作用——たとえばニュートリノ振動(ニュートリノが飛行中に種類を変える現象)の詳細な測定や、暗黒物質候補粒子の探索——において、より多くのデータを集められるようになります。素粒子物理学の実験は、統計的な精度を上げるために「体積の大きさ」がそのまま感度に直結する分野だけに、この技術がもたらす恩恵は大きいと考えられます。
また研究チームは、この技術を粒子加速器実験のカロリメーター(粒子のエネルギーを測定する装置)にも応用できるとしており、素粒子物理学の実験設計全体に影響を及ぼす可能性があります。
医療分野への応用——PET検査の高精細化
興味深いのは、この技術が医療現場にも波及しうる点です。研究チームはすでにPET(陽電子放射断層撮影)検査の装置設計や画像処理技術に関する特許を3件出願しています。PET検査はがんの早期発見などに使われる画像診断法で、体内から放出されるごく微弱な光を高精度に捉えられれば、より鮮明で解像度の高い画像が得られると期待されています。基礎物理学の研究から生まれた検出技術が、思わぬ形で医療機器の性能向上に直結する好例といえるでしょう。
研究の背景と今後の課題
この開発を主導したのはETHチューリッヒの博士課程学生ティル・ディーミンガー氏と、上級研究員サウル・アロンソ=モンサルベ氏、デビデ・スガラベルナ教授らのチームで、マイクロレンズアレイの設計・製造にはドイツのRaytrix GmbH社が協力しました。粒子物理学の分野では、大型実験のたびに検出器の巨大化とコスト増大が課題となってきた経緯があり、今回のような「センサーを増やすのではなく、1台の高性能カメラで代替する」という発想は、今後の実験設計における一つの潮流になる可能性があります。ただし現時点ではあくまで10cm四方の試作機による実証段階であり、実際に1立方メートル級の検出器として建設され、既存実験の一部を置き換えるまでには、さらなる開発と検証が必要とみられます。
補足情報
PLATONの開発には、EPFLの「先端量子アーキテクチャ研究室」が持つSPADセンサー技術「SwissSPAD2」が活用されました。研究成果は2026年7月17日、学術誌Nature Communicationsに掲載されました。研究チームは今後、より高感度でナノ秒以下の精度で光子の到達時刻を記録できる次世代SPADセンサーの開発や、視野角の拡大による集光効率の改善を計画しており、実用化に向けた開発は継続中です。資金はスイス国立科学財団が提供しました。ちなみに素粒子物理学の研究から生まれた技術が社会に広く普及した例は珍しくなく、代表例としてはCERN(欧州原子核研究機構)で開発されたワールド・ワイド・ウェブ(現在のインターネットの基盤技術)や、加速器技術から派生した陽子線治療(がん治療に使われる放射線療法の一種)などが挙げられます。
まとめ
PLATONは、数百万個の部品が必要だった従来型の粒子検出器を、光技術とAIを組み合わせた単一ブロックで代替できる可能性を示した点で注目されています。日本のT2K実験のような大型プロジェクトのコスト構造にも影響しうる技術であり、今後は医療用PET検査への応用も含め、実用化に向けた開発の進展が注目されます。