太陽光に頼らず20年発電、月の”寒い夜”を照らす新電源
2026年7月7日、米国のスタートアップ企業が開発したソフトボール大の超小型衛星が、太陽光ではなく放射性物質トリチウムの崩壊エネルギーだけで発電する世界初の商用衛星としてスペースXのロケットで軌道に投入されました。
太陽が届かない月の夜でも20年以上動き続けられる新電源として注目を集めています。
これは米国の宇宙開発における電源技術の常識を揺るがしかねない出来事だといえるでしょう。
New Atlas、SpaceNews、Space.comなど複数の米メディアが報じています。
世界初の商用原子力衛星「BOHR」が軌道へ
米フロリダ州のスタートアップ「シティ・ラボ(City Labs)」は7月7日、超小型衛星「BOHR」(Betavoltaic Orbital High-Reliability、ベータボルタイク軌道高信頼性衛星の略)を、スペースXの相乗り打ち上げ便「トランスポーター17」でヴァンデンバーグ宇宙軍基地から打ち上げました。
BOHRは重さ6キログラム未満、ソフトボールほどの大きさしかない「1U」規格のキューブサット(超小型人工衛星の規格の一つ)で、80基以上の他の衛星とともに高度560〜640キロメートルの太陽同期軌道に投入されました。
最大の特徴は、太陽光発電に頼らず、放射性同位体トリチウムの崩壊エネルギーを利用した独自電源「NanoTritium」を搭載していることです。
これは民間企業が開発した原子力電源として初めて軌道上での実証に成功した事例であり、宇宙開発における電源技術の選択肢を広げる一歩として注目されています。
これまで人工衛星の電力源といえば太陽電池パネルが主流でしたが、太陽光が届かない深宇宙や月の陰、長期間にわたる夜間には出力が得られないという弱点がありました。BOHRはその弱点を補う代替電源の可能性を、実際の軌道上で試す試験機という位置づけです。
しくみ – 「ベータボルタイク発電」とは何か
NanoTritiumの発電原理は、従来の原子力電池とは異なります。
アポロ計画やボイジャー探査機で使われてきた「RTG(放射性同位体熱電気転換器)」は、放射性物質の崩壊熱を利用して発電する仕組みでした。一方BOHRの「ベータボルタイク電池(放射線のベータ崩壊を半導体で直接電気に変える発電方式)」は、熱を経由しません。
トリチウム(水素の放射性同位体)が崩壊する際に放出するベータ粒子が半導体のp-n接合部にぶつかることで電子と正孔のペアが生まれ、直接電流が発生する仕組みです。
トリチウムの半減期は12.3年で、理論上20年以上にわたり途切れることなく発電し続けられるといいます。出力自体はナノワット〜マイクロワット単位とごくわずかですが、太陽光が届かない環境でもセンサーなどの小型機器を継続的に動かせる点が価値とされています。
安全性の面でも工夫が凝らされています。ベータ粒子は人の皮膚を透過できないほど弱く、トリチウム自体も金属水素化物の固体箔として封じ込められているため、従来の原子力電池に比べて取り扱いのリスクが低いとされます。
なぜ今なのか – 規制の壁を越えた初のケース
BOHRが単なる技術実証にとどまらない理由は、規制面での意味合いにあります。
米連邦航空局(FAA)は2025年9月30日、BOHRミッションに対して積載物としての正式な承認を発給しました。これは「国家安全保障大統領覚書20号(NSPM-20)」に基づく商業原子力打ち上げの承認プロセスを経た初の民間ミッションです。
この審査の枠組み自体、わずか18カ月前には存在していませんでした。BOHRはいわば、今後の民間原子力宇宙ミッションのための「規制の道しるべ(レギュラトリー・パスファインダー)」としての役割を担っています。
シティ・ラボのピーター・カバウイCEOは「これは、安全でコンパクトかつ規制当局の承認を得た原子力電源システムが、日常的な商業利用に向けて準備が整ったことを示すものだ」とコメントしています。
AIデータセンターの電力需要急増を背景に核融合や小型原子炉への投資が相次ぐ中、今回の事例は「宇宙」という全く別の文脈で原子力技術の商業化・小型化が着実に進んでいることを示していると言えるでしょう。
軍・NASAも後押し – 狙いは月面探査
今回の実証には、NASAや米国防総省も一部資金を提供しています。
- 国防総省の「作戦エネルギー革新局」
- 空軍研究所(AFRL)およびAFWERXの中小企業革新研究(SBIR)契約
- NASAおよびSpaceWERXによる支援
官民双方がこの技術に期待を寄せる最大の理由は、太陽光が届かない環境での長期運用にあります。
シティ・ラボは2027年、トリチウムを用いた「放射性同位体熱源ユニット(RHU)」の実証も計画しています。狙いは、太陽光がほぼ2週間にわたり届かない月面の夜や、太陽が差し込まない永久影クレーターでも機能する探査機用の熱源・電源です。
NASAが官民連携で進める月面輸送計画「CLPS(商業月面輸送サービス)」向けの機器にもこの技術が組み込まれる可能性があり、BOHRは軌道上の小さな実証機でありながら、将来の月面探査を支える布石として位置づけられています。
軍とNASAが同じ民間技術に相乗りする形で資金を投じている点も見逃せません。低出力・長寿命という特性は、有人探査だけでなく、偵察・観測用の小型衛星や無人センサー網など軍事用途との親和性も高く、今後は宇宙分野でも「軍民両用(デュアルユース)」の開発が加速する可能性があります。
補足情報
宇宙機への原子力電源の搭載自体は新しい話ではなく、米海軍の「トランジット」衛星などで1961年から利用されてきました。ただし従来型は崩壊熱を使うウランやプルトニウム系のRTGが主流でした。
1978年には、ソ連の原子力衛星「コスモス954」が制御を失って大気圏に再突入し、放射性物質をカナダ北部の約600キロメートルにわたって飛散させる事故が発生しています。この一件は各国に原子力衛星への強い警戒感を植え付け、以降の規制強化につながりました。
BOHRが採用するトリチウムのベータボルタイク方式は、こうした過去の重量級RTGとは仕組みも安全性の性質も異なるため、今回の打ち上げは規制当局にとっても新たな評価基準を試す機会になったとみられます。
まとめ
出力自体はマイクロワット単位とごく小さいものの、BOHRの打ち上げは商用原子力電源が規制の壁を越えて実用段階に入ったことを示す象徴的な出来事です。
今後は2027年予定のRHU実証や、月面探査ミッションへの搭載可否が焦点となります。他の宇宙企業が同様の原子力電源開発に追随するか、そしてFAAの新しい承認プロセスが今後の標準ルートとして定着するかにも注目が集まります。