「マグノン」で量子コンピュータ硬貨サイズへ

寿命100倍のマグノンが拓く、小型量子コンピュータの可能性

量子コンピュータの実用化を阻む壁の一つに、装置の巨大さとコストの高さがあります。

ウィーン大学を中心とする国際研究チームが今回、磁石の中を伝わる磁気の波「マグノン」の量子情報保持時間を、従来の100倍近くまで延ばすことに成功したと発表しました。

実現すれば量子コンピュータの中核部品を硬貨サイズまで小型化できる可能性があるといいます。

ScienceDaily、SciTechDaily、The Quantum Insiderなど複数の海外メディアが、この成果を詳しく伝えています。

発見の中身 ― マグノンの寿命が100倍に

研究を率いたのは、ウィーン大学のアンドリー・チュマック教授の研究チームです。

米コロラド大学コロラドスプリングス校や、ドイツ、米国、ウクライナの研究機関との国際共同研究として、成果は科学誌「Science Advances」に掲載されました。

マグノン」とは、磁性体の中で電子のスピン(自転のような性質)が波のように連鎖して伝わる現象を、量子力学的な粒子とみなしたものです。

電流を流さずに情報を運べるため、次世代の量子コンピュータ部品として注目されてきました。

半導体の中を電子そのものが移動する従来の電気信号と違い、マグノンはいわば「磁気の揺れ」だけが伝わっていくイメージに近く、抵抗によるエネルギーの無駄が原理的に少ないという特徴も持っています。

ただし従来のマグノンは、量子情報を保持できる時間(コヒーレンス時間)が数百ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)程度と極端に短く、実用にはほど遠いとされてきました。

今回チームは、この寿命を18マイクロ秒(1マイクロ秒は100万分の1秒)まで延ばすことに成功しました。

これは従来のおよそ100倍に相当し、現行の量子コンピュータで主流の「超伝導量子ビット」に匹敵する水準だといいます。

わずか十数マイクロ秒という数字だけを見ると地味な進歩に思えるかもしれませんが、量子情報が意味のある演算に使えるかどうかの境界線を超えたという点で、研究者にとっては大きな転換点だったといえます。

どうやって実現したのか ― 波長と純度の工夫

研究チームが用いた手法は、大きく2つに分けられます。

いずれも新奇な理論を持ち込んだわけではなく、既知の物理現象を丁寧に組み合わせて弱点を潰していくアプローチだった点が特徴です。

  • 波長の短いマグノンをあえて発生させ、結晶表面の微細な欠陥による影響を受けにくくした
  • 超高純度のイットリウム鉄ガーネット(YIG、マグノンを伝えやすい人工結晶)の球体を、絶対零度に近い30ミリケルビンまで冷却し、マグノンを壊す熱の揺らぎを抑え込んだ

純度の異なる3種類のYIG球体で実験した結果、純度が高いほどマグノンの寿命が長くなることが確認されました。

つまり今回の発見の本質は、新たな物理法則の発見ではなく、「材料をどこまで純粋に作れるか」という製造技術上の課題だったという点にあります。

この点は、量子コンピュータの研究開発が理論物理の段階から、材料工学やプロセス技術の勝負へと移りつつあることを象徴していると言えるでしょう。

研究チームは、今後さらに結晶の純度を高める技術が確立されれば、マグノンの寿命はまだ延びる余地があるとみています。

なぜ「硬貨サイズ」になり得るのか

現在主流の量子コンピュータは、超伝導量子ビットを絶対零度近くまで冷却する大型の冷凍装置(希釈冷凍機)を必要とし、装置全体が部屋を占領するほど巨大になりがちです。

こうした冷凍装置は建設・維持コストも高く、量子コンピュータが企業や大学に広く普及する上での障壁にもなってきました。

これに対しマグノンは、ナノメートル(10億分の1メートル)オーダーまで波長を縮められる性質を持つため、理論上は同じ機能を持つ回路を大幅に小型化できます。

研究チームが特に期待を寄せるのが、多数の量子ビットをまたいで情報をやり取りする「量子バス(複数の量子ビットの間で情報を中継する共通の伝送路)」としての役割です。

マグノンは異なる種類の量子システム同士をつなぐ「通訳」のような働きも期待されており、将来的には数百個規模の量子ビットを接続する基盤技術になる可能性があるといいます。

実現すれば、量子コンピュータの心臓部を1セント硬貨ほどのサイズに収められるとする試算も示されています。

装置が小型化すれば、設置場所や消費電力の制約も大きく緩和され、研究機関だけでなく企業が導入するハードルも下がることが期待されます。

量子コンピュータ開発競争における位置づけ

量子コンピュータをめぐっては、超伝導方式(Google、IBMなどが採用)やイオントラップ方式など、複数のアプローチが競合しながら開発が進められています。

それぞれ一長一短があり、超伝導方式は動作速度に優れる一方、極低温を維持するための巨大な冷却設備がコストと設置面積の両面でネックとなってきました。

マグノンを使う方式は、こうした既存方式を置き換えるというより、異なる量子技術同士をつなぐ「橋渡し役」として補完的に組み込まれる可能性が高いと見られています。

中国の上海が2026年に量子産業の拠点を新設するなど、世界的に量子技術への投資競争が過熱する中、材料科学の地道な改良から生まれた今回の成果は、派手さこそないものの、量子コンピュータの実用化に向けた着実な一歩として注目されます。

米国や欧州、中国が国家規模で量子技術に予算を投じる状況を踏まえると、こうした基礎研究の積み重ねが将来の技術覇権を左右する可能性もあります。

補足情報

「マグノニクス」とは、マグノンを情報伝達の担い手として利用する研究分野の総称で、電流のように電子そのものを流さないため、発熱によるエネルギー損失(ジュール熱)を大幅に抑えられる利点があります。

この特性は量子コンピュータに限らず、次世代の省エネ情報通信技術としても各国で研究が進められています。

イットリウム鉄ガーネット(YIG)は磁気関連の研究で古くから使われてきた人工結晶で、今回のように高純度化を進めることで、これまで見過ごされてきた性能余地が引き出された形です。

今回の実験では絶対零度(マイナス273.15度)にごく近い30ミリケルビンという極低温環境が使われており、こうした極限的な条件をいかに安定的に作り出すかも、実用化に向けた重要な技術的課題となります。

まとめ

ウィーン大学の研究チームは、磁気の波「マグノン」の量子情報保持時間を従来の100倍となる18マイクロ秒まで延ばし、材料の純度がその鍵であることを示しました。

今後は素材の純度をさらに高める研究が進み、量子ビット同士をつなぐ「量子バス」としての実用化に近づくかどうかが焦点となります。

超伝導方式など他の量子技術との組み合わせによって、量子コンピュータの小型化・低コスト化がどこまで進むか、今後の続報にも注目です。

出典:
ScienceDaily
SciTechDaily
University of Vienna
The Quantum Insider
Mirage News

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