停戦後も消えぬコスト増と採用凍結、英国経済に忍び寄る影
2026年6月、イランをめぐる軍事衝突はひとまず停戦にこぎつけました。
しかし戦火がやんでも、英国企業を苦しめるコストの重荷は消えていません。Reuters(ロイター)やIpsos(イプソス)、KPMGとREC(英国人材紹介事業連盟)による最新調査は、英国のビジネス景況感が2022年末以来の低水準に沈み、企業の7割がコスト増を訴え、採用凍結が44カ月連続で続いている実態を、具体的な数字とともに明らかにしています。
止まらぬコスト増 – 景況感は2022年末以来の低水準に
英国勅許会計士協会(ICAEW)が四半期ごとに実施している「ビジネス信頼感調査(Business Confidence Monitor)」によると、2026年4月から6月期の英企業の景況感は、2022年第4四半期以来の低水準にまで落ち込みました。
同じ期間の仕入れ価格上昇率は前年比4.1%となり、2024年7〜9月期以来の高さを記録しています。しかも多くの企業は、値上がりした原価を販売価格に十分転嫁できていません。
背景には消費者の需要の弱さがあります。調査では企業の半数以上が人件費の上昇を懸念材料に挙げ、35%がエネルギー価格を、そして輸送コストへの懸念はこの2年余りで最も高い水準に達しました。
ICAEWのスレン・ティルー氏(チーフエコノミスト)は「たとえ和平合意が維持されたとしても、先行きの販売見通しの弱さは、イラン紛争の余波が今後も英国経済に重くのしかかることを示している」と警告しています。
原油や天然ガスの供給不安が価格に波及し、製造業からサービス業まで幅広い業種でコスト構造が圧迫されている構図がうかがえます。
現場が語る「7割がコスト増」の実態
世論調査大手Ipsos(イプソス)が英企業を対象に実施した調査では、より生々しい実態が浮かび上がりました。回答企業の70%が「イラン戦争を理由にコストが増加した」と回答し、そのうち48%は5%以上の上昇を経験したといいます。企業側の対応も分かれています。
- 33%:仕入れ先の見直し・再交渉でコストを圧縮
- 31%:値上げの一部を顧客に転嫁
- 23%:補助金や融資など公的支援を活用
- 22%:人件費の削減で対応
企業の景気に対する純楽観指数(今後の経済がよくなると答えた割合から悪くなると答えた割合を引いた値)はマイナス23まで悪化し、2月時点のマイナス15から大きく後退しました。
「経済は今後悪化する」と答えた企業は49%にのぼり、「改善する」との回答(26%)を大きく上回っています。値上げを他社に先駆けて顧客に転嫁できる企業がある一方、価格競争の激しい業種では自社の利益を削って耐えるしかない企業も多く、業種・規模による体力差が浮き彫りになっています。
採用凍結という新たな痛み – 44カ月連続の縮小
コスト増と並んで深刻なのが、採用活動の凍結です。
KPMGとREC(英国人材紹介事業連盟)が毎月まとめる「Report on Jobs」調査によれば、正社員の採用件数を示す指数は5月に44.1まで低下し、4月の47.5から急落しました。これは2025年7月以来もっとも速いペースの落ち込みです。さらに深刻なのは、この指数がすでに44カ月連続で50(拡大・縮小の分岐点)を下回っている点で、1997年の調査開始以来もっとも長い縮小局面が続いていることになります。
一方で、臨時雇用(テンポラリー)の指数は52.2まで上昇し、2023年4月以来もっとも速い拡大を見せました。企業が正社員採用を控え、必要に応じて人数を調整しやすい非正規雇用へと軸足を移している様子がうかがえます。
KPMGのジョン・ホルト グループCEOは「世界的にも国内的にも先行き不透明感が続く中、企業はより慎重になっており、それが採用判断に色濃く表れている」と述べています。求人自体の減少ペースも2月以来もっとも急激で、労働市場全体が守りの姿勢に転じつつあることを示しています。
なぜ「戦争は終わった」のに苦しみが続くのか
興味深いのは、イランでの戦闘そのものはすでに停戦により沈静化しているにもかかわらず、企業心理の悪化がむしろ深まっている点です。
一般に軍事衝突が経済に与える打撃は、開戦直後の株価急落や資源価格の急騰といった形で即座に表面化しますが、今回のように実体経済への波及は数カ月遅れて顕在化する傾向があります。
エネルギーや輸送の契約は長期契約が多く、価格上昇が請求書に反映されるまでにタイムラグが生じるためです。
加えて、英国はBrexit(ブレグジットによる欧州単一市場からの離脱)や新型コロナ禍、ウクライナ戦争によるエネルギー危機と、この数年で複数の外的ショックを連続して受けてきました。
今回のイラン紛争は、企業にとって「またか」という慢性的な疲労感を伴う打撃であり、単発の危機というより積み重なった不確実性の一つとして受け止められている面があると考えられます。
政治的な停戦と、現場の経営者が実感する「平時への回復」との間には、無視できない時間差が存在するといえるでしょう。
日本にとっても他人事ではない理由
今回の英国の事例は、中東情勢の緊張が遠く離れた国の中小企業の採用計画や仕入れ価格にまで影響を及ぼすことを、具体的な数字で示した点に意義があります。
日本もエネルギー資源の多くを輸入に頼る国であり、中東の地政学リスクは原油・LNG(液化天然ガス)価格や物流コストを通じて無関係ではいられません。
英国の企業景況感やインフレ動向は、日本銀行や日本企業が今後の金融政策・仕入れ戦略を考える上でも、先行指標の一つとして参考になるでしょう。
実際、英国以外の欧州各国でも同様のコスト増や消費マインドの冷え込みが報告されており、今回の紛争の経済的な影響は一国にとどまらない広がりを見せています。
補足情報
ICAEWの「ビジネス信頼感調査」は英国内の会計士1000人規模を対象に四半期ごとに実施される、英国で最も長い歴史を持つ企業景況感調査のひとつです。
一方、KPMGとRECによる「Report on Jobs」は全国約400の人材紹介会社への聞き取りをもとに1997年から毎月発表されており、英国の雇用動向を測る代表的な先行指標としてイングランド銀行(英国の中央銀行)の政策判断にも参照されています。
なお今回のイラン紛争をめぐっては、米国とイランの間で6月下旬に停戦・和平合意が成立したと報じられていますが、英国国内のガソリン価格や海上輸送の保険料はなお高止まりが続いているとされ、企業だけでなく一般市民の生活コストへの影響も懸念されています。
まとめ
英国の複数の調査は、イラン戦争そのものが停戦を迎えた後も、企業のコスト増と採用凍結という形で経済的な痛みが長引いていることを示しています。
仕入れ価格の上昇、正社員採用の44カ月連続の縮小、そして企業心理の悪化という3つのデータは、地政学リスクが実体経済に及ぼす影響がいかに長く尾を引くかを物語っています。
今後は和平合意がどこまで維持されるか、そして下半期にかけて英国の消費・雇用指標が持ち直すかどうかが注目されます。
出典:
Reuters (via U.S. News)
Ipsos
Investing.com (Reuters / REC-KPMG Report on Jobs)