光る腫瘍で見つけ、熱で消す——豪州発の新治療法
膠芽腫(グリオブラストーマ)は、脳腫瘍の中でも特に悪性度が高いがんとして知られています。
手術で腫瘍を摘出しても、目に見えない微小ながん細胞が残り、多くの場合再発してしまうことが治療の大きな壁となってきました。
オーストラリアのシドニー工科大学(UTS)を中心に、米ハーバード大学、中国・河南大学の研究チームが、この課題に挑む新型ナノ粒子を開発したと発表しました。
研究成果は科学誌サイエンス・トランスレーショナル・メディシンに掲載され、米科学ニュースサイトのサイエンスデイリーやフィズ・オルグ(Phys.org)が詳細を報じています。
膠芽腫(グリオブラストーマ)とは何か
膠芽腫は、脳のグリア細胞(神経細胞を支える組織)から発生する悪性脳腫瘍の一種です。
進行が非常に速く、脳腫瘍の中でも最も治療が難しいタイプとされています。
標準治療である手術・放射線・化学療法を組み合わせても、患者の生存期間の中央値はおよそ15〜16カ月にとどまります。
5年後の生存率はわずか5〜10%というのが現状です。
この数字は、乳がんや前立腺がんなど比較的治療成績が良いとされるがん種と比べても際立って厳しいものです。
手術で目に見える腫瘍を取り除いても、周囲の脳組織に散らばった微小ながん細胞まで完全に除去することは困難です。
その結果、多くの患者が手術から6〜9カ月ほどで再発を経験します。
脳は他の臓器と異なり、切除できる範囲に限界があることも治療を難しくしている要因です。
腫瘍を大きく切除しすぎれば、言語や運動といった重要な脳機能を損なうリスクが高まるためです。
そのため執刀医は「がんを取り切ること」と「脳の機能を守ること」という、時に相反する目標のバランスを取りながら手術を進める必要があります。
この「見えないがん細胞」をいかに安全に取り除くかが、長年の研究課題となってきました。
従来、この課題に対しては化学療法薬や放射線量を増やす方向での対策が試みられてきましたが、正常な脳組織への負担も比例して増すというジレンマがありました。
「二段構え」のナノ粒子、光る腫瘍を可視化
研究チームが開発したのは、原子レベルで設計された2次元シート状のナノ素材です。
研究チームはこれを「ダブルパンチ・ナノザイム」と呼んでいます。
ナノザイムとは、酵素のような化学反応を人工的に起こす微小な材料を指す言葉です。
この素材には腫瘍細胞を狙って結合するターゲティング分子が組み込まれており、血液脳関門(脳を保護する特殊な血管の壁で、多くの薬剤の侵入を防いでしまう)を通過して腫瘍細胞に集まる性質を持っています。
血液脳関門は脳を病原体などから守る一方、治療薬が脳内に届くのを妨げる壁としても知られ、脳腫瘍治療における大きな課題の一つとされてきました。
手術中に近赤外線を照射すると、この素材が蛍光を発し、わずか44マイクロメートルという極小のがん細胞の塊まで検出できるといいます。
44マイクロメートルは髪の毛の直径程度の大きさで、従来の目視や一般的な蛍光診断では見落とされやすい規模です。
執刀医は肉眼では見分けられない微小な病変の位置を、光る目印として確認しながら摘出を進められるようになります。
これにより、腫瘍の取り残しを減らしつつ、正常な脳組織を余分に傷つけるリスクも抑えられると期待されています。
摘出後も「掃除」を続ける仕組み
手術で腫瘍を取り除いた後、同じナノ素材を手術跡の空洞に投与し、再び同じ波長の近赤外線を当てます。
すると素材内の白金原子が、腫瘍組織にたまった過酸化水素を酸素に変換する反応を起こします。
がん細胞は酸素が乏しい「低酸素環境」を隠れみのにして治療から逃れる性質があり、この反応はその防御を突き崩す働きをします。
低酸素環境は放射線治療の効果も弱めることが知られており、腫瘍が治療に抵抗する主な要因の一つとされてきました。
同時に光のエネルギーが熱と反応性の高い分子を発生させ、手術で取りきれなかった微小ながん細胞を破壊します。
つまりこの素材は、酸素を補給してがん細胞の防御を崩しつつ、熱と化学反応という二重の攻撃を同時に仕掛ける仕組みになっています。
UTSでナノ医療学の教授を務めるビンヤン・シー氏は、「1つの素材が手術中の道案内役と、術後の的確な清掃役という2つの役目を順番にこなすよう設計した」と説明しています。
画像診断用の造影剤と治療用の薬剤を別々に開発・投与する従来の方式に比べ、1つの素材で完結する点は投薬の手間やコストを抑えるうえでも利点になり得ます。
マウス実験で生存率100%、副作用も確認されず
研究チームはマウスを使った実験でこの治療法の効果を検証しました。
新型ナノ粒子による治療を受けたマウスは、60日後の時点で100%が生存していました。
一方、手術のみを受けた対照群のマウスの生存期間は平均42日にとどまりました。
治療を受けたマウスでは腫瘍の再発も抑えられていたということです。
追跡調査では、神経機能や運動機能に目立った異常は確認されませんでした。
脳を対象とする治療では、がん細胞だけでなく正常な神経細胞まで傷つけてしまう副作用がしばしば懸念されるため、この結果は安全性の面でも注目されます。
ただし研究チームは、これがまだマウスを対象にした初期段階の研究であることを強調しています。
マウスの脳は人間の脳に比べてはるかに小さく、光がナノ素材まで届く距離や、素材が体内で分解・排出される速さなども人間とは異なります。
シー氏は「画像化と治療の性能は、人間の脳の大きさでも改めて確認する必要がある」と述べ、臨床応用にはさらなる検証が欠かせないとの認識を示しています。
それでも「摘出後の見えないがん細胞を、同じ材料で見つけて壊す」という発想自体は、再発率の高い膠芽腫治療における新たな選択肢として、今後の臨床試験の行方が注目されます。
脳腫瘍治療をめぐる現在地
現在、脳腫瘍の手術では「5-ALA」と呼ばれる光感受性物質を用いた蛍光診断がすでに実用化されています。
患者が手術前に5-ALAを服用すると腫瘍細胞が赤く光り、摘出範囲の判断に役立つ手法で、ドイツの臨床試験でも摘出率の向上が確認されています。
ただし従来の5-ALA法は主に可視化にとどまり、今回のように術後の破壊治療まで一体化した素材は新しい試みです。
近赤外線を使う技術は光が生体組織を通過しやすく、より深い場所の観察にも向いているとされます。
今回の研究はこうした既存技術の延長線上にありながら、可視化と治療を1つの材料で両立させた点が特徴といえます。
膠芽腫は世界的にも患者数自体は比較的少ないがん種ですが、進行の速さと再発率の高さから、製薬・医療機器業界では研究開発の優先度が高い分野の一つに位置づけられています。
まとめ——実用化にはさらなる検証が必要
今回の研究は、脳腫瘍手術で残ってしまう微小ながん細胞という長年の課題に対し、可視化と治療を一体化した新しいアプローチを示しました。
マウス実験での100%生存という結果は注目に値しますが、あくまで動物実験の段階にとどまります。
人間の脳は大きさも構造もマウスとは大きく異なるため、今後は安全性と効果を大規模な動物実験や臨床試験で確認していく必要があります。
膠芽腫は再発率の高さが治療の壁となってきただけに、こうした新技術が実用化されれば患者の生存率向上につながる可能性があります。
今後の臨床試験の進展が注目されます。
出典:
ScienceDaily
Phys.org