ミクログリアとは?脳の免疫細胞は中年期から血液由来に入れ替わるとスタンフォード大学が発見

「閉ざされた脳」の常識を覆す発見、アルツハイマー治療に新たな道

長年、脳は血液由来の免疫細胞から隔絶された「閉ざされた臓器」とされてきました。しかし米スタンフォード大学の研究チームが学術誌ネイチャーに発表した新たな研究は、この常識を覆す内容です。米科学ニュースサイトのサイエンスデイリーなども報じたこの発見によれば、人は中年期に差し掛かると血液中の免疫細胞が脳内に入り込み、脳固有の免疫細胞へと変化し始めるといいます。アルツハイマー病など神経変性疾患の治療に新たな道を開く可能性があるとして注目されています。

脳は「閉ざされた臓器」ではなかった

脳内にはミクログリアと呼ばれる免疫細胞が常在しています。ミクログリアは脳内の老廃物や死んだ細胞を掃除し、炎症反応を制御する役割を担う細胞で、これまでは胎児期に脳内に定着し、生涯にわたって自己複製を繰り返しながら維持されると考えられてきました。脳と血液の間には血液脳関門(血液中の物質や細胞が自由に脳へ出入りするのを防ぐ生体フィルター)があり、脳の免疫システムは体の他の部分から独立した「閉ざされた系」だとみなされてきたのです。

ところがスタンフォード大学医学部のジュリア・ベルク博士(研究員)とシッダールタ・ジャイスワル准教授らの研究チームは、この常識に反する事実を発見しました。人が中年期(44歳前後)を過ぎると、血液を流れていた免疫細胞の一部が血液脳関門を越えて脳に侵入し、脳内でミクログリアそっくりの細胞へと変化することが判明したのです。研究チームは「私たちは脳を閉ざされたシステムだと考えてきましたが、実際には加齢とともに多くの免疫細胞が人間の脳に入り込んでいることが分かりました」と述べています。

今回の発表の要点は以下の通りです。

  • 血液中の免疫細胞が血液脳関門を越え、脳内でミクログリアに変化することを確認
  • この置き換わりは中年期(44歳前後)以降に進行し始める
  • 同様の現象はマウスや非ヒト霊長類では確認されず、ヒトに特有とみられる
  • 血液幹細胞の加齢変化(クローン性造血)とアルツハイマー病リスクの関連を説明しうる

体細胞変異を「目印」にした系統追跡という手法

今回の研究で用いられたのは、体細胞変異(細胞分裂の過程で偶発的に生じるDNAの変化で、細胞ごとに異なる「指紋」のような目印になる)を利用した系統追跡という手法です。研究チームはスタンフォード大学の迅速剖検センターと、ワシントン大学が進める「アルツハイマー病シークエンシング・プロジェクト」から提供された、血液と剖検後の脳組織が対になったサンプルを解析しました。対象は数千人分のゲノム情報におよび、一部は数十年にわたって追跡されてきたデータです。

血液中の細胞と脳内のミクログリアが同じ変異を共有していれば、そのミクログリアはかつて血液を流れていた細胞の子孫であると強く推定できます。ベルク氏は「血液と脳のミクログリアに同じ変異が見られれば、脳内の免疫細胞が血液中の免疫細胞の子孫であると高い確度で確認できる」と説明しています。この手法により、これまで直接観察が難しかった血液と脳の細胞系譜のつながりが、初めて定量的に裏付けられました。

なぜヒトだけに起きるのか——マウス研究との違い

今回の発見でとりわけ注目すべき点は、この現象がヒトに特有の現象であり、マウスや非ヒト霊長類では確認されなかったことです。神経科学の分野では、これまでアルツハイマー病をはじめとする脳疾患の研究の多くがマウスモデルを用いて進められてきました。しかし血液由来の免疫細胞が脳内に流入し、加齢とともにミクログリアを置き換えていくという現象がヒトだけに見られるとなれば、マウスで得られた知見をそのままヒトに当てはめることには限界があるとも考えられます。

なぜヒトだけにこうした現象が起きるのかは、現時点では明らかになっていません。研究チームは、ヒトの寿命がマウスよりはるかに長いことや、加齢に伴う血液脳関門の変化が関係している可能性を指摘していますが、詳細な機構の解明はこれからの課題です。この点は、動物実験に依存してきた従来の脳研究のあり方そのものを見直す契機になるかもしれません。

アルツハイマー病との知られざる関連

この発見は、クローン性造血(CHIP、造血幹細胞の一部が特定の遺伝子変異を持ったまま増殖していく加齢現象で、これまで心血管疾患のリスク上昇との関連が知られていた)とアルツハイマー病との間に見られてきた、原因不明の疫学的関連を説明する手がかりになる可能性があります。血液幹細胞に生じた変異が、脳内に移動した免疫細胞を通じてミクログリアの働きに影響を及ぼし、結果として脳疾患のリスクを左右しているのではないか、というのがチームの見立てです。

ジャイスワル准教授は「血液幹細胞がたどってきた履歴が、ミクログリアを変化させることを通じて脳疾患のリスクに影響している可能性を、今回の結果は示唆している」と述べています。血液検査で分かるCHIPの状態が、将来的に脳疾患リスクの指標として使える可能性も出てきたことになります。

治療への応用――「設計された免疫細胞」という未来

今回の発見は、新たな治療戦略にもつながる可能性があります。研究チームが見据えるのは、体外で操作を加えた免疫細胞を患者に投与し、脳内でアルツハイマー病の原因物質とされるアミロイドβタウ(いずれも脳内に蓄積して神経細胞を傷つける異常たんぱく質)を除去させるという治療法です。血液由来の細胞が実際に脳内へ移動してミクログリアになり得ることが示された以上、この経路を治療に応用できる可能性が現実味を帯びてきました。

ベルク氏は「免疫細胞が実際に脳内に入り込めることが分かった今、さまざまな新しい工学的戦略を検討できるようになった」と述べ、症状が進行してからではなく、発症前の予防的な投与という選択肢にも期待を寄せています。ただし、この経路をヒトに特有のものとして再現できる動物モデルは現時点で確立されておらず、臨床応用にはさらなる基礎研究の積み重ねが必要とみられます。

知っておきたい背景知識

脳のミクログリアが胎児期に定着し生涯自己複製するという説は、2010年代以降の複数のマウス研究によって定説化していました。今回の研究チームが利用したスタンフォード大学の迅速剖検センターは、死後短時間で採取した脳組織を用いることで、細胞の状態が劣化する前の質の高いサンプルを研究者に提供する仕組みとして知られています。また共同研究にはがん研究で著名なハワード・チャン教授も名を連ねており、がんの系統追跡で培われた体細胞変異解析の技術が、今回の脳研究にも応用された形です。解析対象となったワシントン大学の「アルツハイマー病シークエンシング・プロジェクト」は、数十年にわたり患者と健常者双方の脳を収集してきた大規模な研究基盤で、今後も同様の系統追跡研究に活用されていくとみられます。

まとめ:今後注目すべきポイント

今回の研究は、ヒトの脳が加齢とともに血液由来の免疫細胞を受け入れる「開かれた臓器」であることを示し、脳研究の前提を塗り替える成果といえます。クローン性造血とアルツハイマー病の関連という長年の謎に迫る糸口にもなりました。今後は、この置き換わりが具体的にいつ、どの程度進むのかという定量化や、血液由来免疫細胞を利用した予防的治療法の開発、そしてヒト特有の現象を再現できる新たな実験モデルの確立が焦点となりそうです。

出典:
ScienceDaily
Stanford Brain Rejuvenation Initiative
AllSci

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