量子コンピュータ、核融合の燃料計算に世界初成功

IBMとオークリッジ研究所、希少燃料トリチウムの生成効率化に挑む

2026年7月6日、IBMはオークリッジ国立研究所(ORNL)、クリーブランド・クリニックと共同で、核融合炉の壁材となる溶融塩の性質を量子コンピュータで計算することに世界で初めて成功したと発表しました。核融合発電の実用化を阻んできた「燃料不足」問題に、量子コンピュータという新たな武器が投入された形です。IT-TimesやTechJournal UKなどの報道と、研究チームがarXivに公開した論文をもとに、その内容と意義を読み解きます。

何が達成されたのか – 核融合炉の「壁」を量子コンピュータで再現

核融合炉の内壁は、フッ素・リチウム・ベリリウムを混ぜ合わせた「FLiBe(フリーベ)」と呼ばれる溶融塩(高温で液体になった塩)で覆われています。

このFLiBeが核融合反応で発生する中性子を吸収し、中に含まれるリチウムを核融合の燃料である「トリチウム(三重水素)」へと変換する役割を担っています。

研究チームは今回、このFLiBeの9通りの分子構造を量子コンピュータ上で計算し、既存の高精度な古典計算手法(フルCI法)と比較して0.7kcal/mol以内という高い精度で一致する結果を得ました。

核融合炉の燃料材料をめぐる化学計算が量子コンピュータで行われたのはこれが初めてであり、しかも荷電したイオン性物質・無機溶融塩を対象にした計算としても史上初の事例だとされています。

タンパク質のようにすでに研究が進んでいた有機分子とは異なり、FLiBeは化学的性質がまったく異なる無機物質であるため、この成功は量子コンピュータの応用範囲の広さを示す事例だと言えるでしょう。

なぜ重要なのか – 「トリチウム」という希少燃料の壁

核融合発電の実用化を阻む最大の壁のひとつが、燃料であるトリチウムの絶対的な不足です。

トリチウムは自然界にほとんど存在せず、世界全体での年間生産量はわずか数ポンド(数キログラム程度)とされています。

そのため、多くの核融合炉の設計では、炉の中でリチウムからトリチウムを「増殖」させながら発電を続ける仕組みが不可欠とされています。

今回の研究が対象としたFLiBeは、まさにこの増殖プロセスの中心的な役割を担う物質です。トリチウムがどのように生成され、どのくらいの効率で回収できるかを正確に予測できれば、以下のような効果が期待できます。

  • 炉の設計段階でトリチウム増殖効率を最適化できる
  • 燃料の回収・抽出プロセスの無駄を減らせる
  • 核融合発電所の商用化スケジュールを前倒しできる可能性がある

裏を返せば、これまでこうした溶融塩内部の化学反応は複雑すぎて、通常のコンピュータだけでは高精度に予測することが難しい領域だったということでもあります。

どう計算したのか – 量子と古典コンピュータの「二人三脚」

今回使われた手法は「量子中心スーパーコンピューティング(QCSC)」と呼ばれる、量子コンピュータと従来型の古典コンピュータを組み合わせるアプローチです。

具体的には、まず巨大な分子クラスターを古典コンピュータが複数の小さな「フラグメント(断片)」に分割します。

そのうち計算負荷が特に高い部分だけを、IBMの量子ハードウェア上で「拡張サンプルベース量子対角化(ext-SQD)」という手法を用いて解く、という役割分担です。

IBMで量子中心スーパーコンピューティングを統括するジェリー・チョウ氏は、「この溶融塩の化学的性質はタンパク質とはまったく異なり、古典コンピュータだけで高精度に研究するのは難しい対象だった」と述べています。

論文によれば、現時点での主な誤差要因は量子計算そのものではなく、分子をどうフラグメントに分割するかという「切り分け方」にあるとされ、今後の精度向上には分割手法の改良が鍵になると指摘されています。

裏を返せば、量子ハードウェアが担う計算部分についてはすでに実用レベルの精度に達しつつあるということであり、量子コンピュータが「実験室のおもちゃ」から「実務で使える計算資源」へと移行しつつある一つの証拠だと考えられます。

日本ともつながる技術の系譜 – 理研の「富岳」も貢献

今回のFLiBe計算に使われた「フラグメント分割」の手法は、実はゼロから開発されたものではありません。

その土台となったのは、クリーブランド・クリニックと理化学研究所(理研)、IBMが2024年から進めてきたタンパク質シミュレーションの共同研究です。

この研究チームは2026年5月、12,635個の原子からなるタンパク質「トリプシン」のシミュレーションに成功したと発表しました。これは量子コンピュータで再現された生体分子としては史上最大級の規模です。

この成果には、理研が誇るスーパーコンピュータ「富岳」と、東京大学・筑波大学が運用する「Miyabi-G」という2台の日本のスーパーコンピュータが、IBMの156量子ビット・プロセッサ「Heron」と連携する形で使われました。

過去半年間の同種のベンチマークと比較して、扱える分子の規模は40倍、計算精度は最大210倍向上したとされ、この研究には日本の経済産業省所管のNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)による資金支援も入っていました。

つまり今回の核融合材料研究は、日米の研究機関がタンパク質研究のために磨き上げてきた計算技術を、まったく異なる分野であるエネルギー研究に転用した成果だと言えます。

商用化への期待 – Commonwealth Fusion Systemsとの連携

今回の研究には、核融合発電のスタートアップとして知られるCommonwealth Fusion Systemsも名を連ねています。

同社は今後、この量子計算の枠組みを自社の炉設計プロセスに取り入れていく方針だとされています。

研究チームは今後の課題として、量子コンピュータと古典コンピュータ間のデータ転送にかかる時間の短縮や、シミュレーションできる分子相互作用の規模拡大を挙げています。

核融合発電はこれまで「実用化は常に30年先」と揶揄されてきた分野ですが、AIブームによる電力需要の急増を背景に、各国政府や民間投資家からの投資が急速に集まっています。量子コンピュータという新しい計算基盤が、材料開発のボトルネックを解消する形で商用化を後押しする可能性は注目に値します。

補足情報

トリチウムは半減期が約12.3年と短く自然に崩壊してしまうため、備蓄だけに頼ることができず、常に新たに生成し続ける必要がある燃料です。

IBMの量子コンピュータ関連プラットフォームには現在、世界の企業・研究機関など325以上の組織が参加し、クラウドおよびデータセンター上で90台以上の量子コンピュータが稼働しているとされています。

「量子中心スーパーコンピューティング(QCSC)」という考え方自体も比較的新しく、量子コンピュータ単独で問題を解くのではなく、古典コンピュータとの適材適所の分業によって実用的な成果を出すことを目指すアプローチとして、近年IBMが積極的に推進しています。

まとめ

IBM・オークリッジ国立研究所・クリーブランド・クリニックによる今回の成果は、量子コンピュータが核融合発電という具体的な産業課題の解決に貢献し始めたことを示す事例です。

その基盤技術には、理研の「富岳」を含む日本のスーパーコンピュータ資源やNEDOの支援も関わっており、日本にとっても無関係な話ではありません。

今後は、Commonwealth Fusion Systemsのような企業が実際の炉設計にこの手法を取り入れられるか、そして計算対象をさらに大規模な分子系へ広げられるかが焦点となりそうです。

出典:
IT-Times
TechJournal UK
arXiv: Quantum Computations on Fusion Blanket Molten Salts
IBM Newsroom

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